苦難をのりこえる市民たち

3月20日(日)午後2時から、「千里の道は世界に通ず 梅棹忠夫写真展」関連講座が開かれました。本日の講師、中野不二男さんが東北地方太平洋沖地震のために来館できず、急遽、カンチョーが代理講演することになりました。

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若い頃から頭角をあらわし、おおきな業績をのこされた梅棹さんにも、いくつかの苦難のときがありました。登山に熱中しすぎて放校されそうになったり、中国の張家口から命からがら日本に引き揚げたり、マナスル登頂をねらっていたのに肺病にたおれたり・・・晩年には失明という大きな挫折がありました。しかし、そのたびにあらたな方向をみいだされ、みごとに乗り越えてこられました。。。。という話が、あっという間におわってしまいました。

どうなることかとひやひやしていたら、急に今回の震災の話に飛んでいき、カンチョーがいきなり、フロアにいた小田忠文医師に登壇依頼・・・小田先生は、阪神大震災のときは宝塚で被災者のケアで活躍されていました。

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地震当日の患者さんはほぼ全員、怪我をした患者さんでした。寝起きではだしのまま割れたガラスの上を歩いて足の怪我がほとんど。ほかに上から物が落ちてきて頭や顔を切った人が多かった。数日すると風邪をひいたりお腹をこわす人が増えました。3週間から1か月ころにはストレスで胃潰瘍による吐血の患者さんがちらほら。さらに人生に悲観して自殺をはかる人もでてきました。

今回の地震から10日目の現在、死体検案する医師が不足してます。医師免許さえあればいいので、退役した医師でも役に立つ場面です。
福島原発からの放射線のレベルは微量なので将来、(癌とか)何かが生じる心配はありません。「酒一升を一気飲みしたら命の危険がありますが、一合ずつ10日にわけて飲んでも無害」というのに似てます。人間には修復能力が備わっているのです。

・・・・などなど医師ならではの視点の解説で、すばらしくわかりやすい!みんな身を乗り出して聞きました。

また、なんと来週の講師・片寄俊秀先生も来られており、都市計画(ニュータウン)と災害について話していただきました。(実は2007年に梅棹先生が来られなくなったときもフロアにいて、カンチョー指名をうけて話す羽目になったそうです。毎度毎度すみませ~ん。)
このあともフロアからも発言があいつぎました。
津波の危険が予測される地域のまちづくりには高さ制限のある地区でも(たとえば100m以内に1棟の)4階建てのビルを設けるということも、今後は考える必要がありそうですね。

というわけで、震災のため開催の危機?にあった講座は、市民にたすけられ、いつになく充実したものになりました。(吹田ケーブルTVが取材に来ていたのですが、放送はあるのかな・・・?)
とても盛り上がったので、今夏の自然展はぜひ「災害」をテーマにしようという声がでています。

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写真はドイツから支援に来た 市民組織の技術支援隊THW(THW:Technisches Hilfswerk)です。1995年の阪神淡路大震災の時にも「行きましょうか?」との打診があったのですが当時の村山内閣は「来なくていいよ」と断った団体です。

阪神淡路大震災のデジタルアーカイブは神戸大学図書館で見ることができます。

(こぼら おーぼら)

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