「万博市民展 千里から上海へ」が山田権六踊りで賑々しく開幕しました。
さっそく講座室では
館長の司会で、市長と権六踊り保存会のみなさんとの座談会がはじまりました。
左から権六踊り保存会の岡本和子さん、村上豊子さんと保存会会長の内山実嗣さん
権六踊りの由来は・・・・、
大工の権六(ごんろく)が円照寺の普請中に、惚れていた村娘の‘お杉’が和尚に惚れていることを耳にし、仕事の手を休めてしまった。
困った村の善兵衛さんは‘お杉’が和尚に書いた恋文を(和尚に届けず)権六に渡したところ権六は機嫌を直して普請に精を出し、円照寺は見事に完成したという伝えからだそうです。
≪2004年、吹田市立博物館館報(6):藤井学芸員の報告から≫
大阪府の旧三島郡域で行われていた盆踊りとされる権六踊りは、吹田市山田、佐井寺、岸部、原、山の谷(上山手町)の他、摂津市鳥飼、味舌、茨木市宇野辺などで行われていたことが知られるが、詳しい分布域は不明である。現在では吹田市山田にのみ伝承されている。
(おーぼら)
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2011/04/30 09:20 okkun のコメント「この歌詞をブログに紹介できないですかね?」にこたえて・・・
≪現在伝えられている歌詞≫
ヤレソーオジャソージャーヘヘ それが情でござるノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
謡へよイナへはやせよ 叩けよヤッコラ太鼓
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレはやせよヘヘ 叩けよ太鼓ノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
月のイナー世界へ届く ヤッコラまでも
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ世界へ届くまでもノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
さてはイナヘ この場の皆様ヤッコラ方へ
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレこの場のヘヘ 皆様方へノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
ちょいとイナーヘ出ました 我ままヤッコラ娘
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ出ましたヘヘ 我まま娘ノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
四角イナーへ四面の 櫓のヤッコラ上で
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ四面のヘヘ 櫓の上でノヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
皆様方をば 下座にヤッコラ眺め
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレソージャソージャーヘヘ 下座に眺めノヘヘへ
(アードウシタイ ドオシタイ)
その義はお許し賜りヤッコラまして
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレお許しヘヘ 賜りましてノヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
京屋の娘の 坊さんヤッコラおとし
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ娘のヘヘ 坊さんおとしノヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
お気にイナー召すよに 読めないヤッコラけれど
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ召すよにヘヘ 読めないけれどノヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
悪声ながらも 声張りヤッコラ上げて
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレながらもヘヘ 声張り上げてノヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
坊さんおとしを 読み上げヤッコラまする
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレおとしをヘヘ 読み上げまするノヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
国はイナー中国 長門のヤッコラ国で
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
ヤレ中国ヘヘ 長門の国でノーヘヘヘ
(アードウシタイ ドオシタイ)
所を申せば あかまがヤッコラ関の
(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイサノセ)
以下 囃しは省略
関で千軒 ならびはないが よろず小間物京屋の娘
年は十六 おてんば娘 親に恥づかし 他人に惜しや
誰にまかそよ この初肌を 寺に参りて 和尚にほれて
家に帰りて 二階に上り 硯ひきよせ すみすり流し
しかの巻筆 小杉の紙に 思う恋路を 細々書いて
文の上書 お杉と書いて ポント叩いて 文箱に入れて
文は出来たが 使いはどなた 文の使いは 寺町の善兵衛
和尚さまへと 文さし上げる 和尚手に取り 拝見すれば
文の上書 女の手筋 和尚びっくり 文さし返す
これじゃかなわぬ 行かねばならぬ あわて急いで 装束いたし
下に召したる 汗どり襦袢 上に召したは 名はかたびらで
繻子の丸帯 吉弥に結び ポンと叩いて 後に廻し
ヤァレ嬉しや 装束出来た 早くお寺へ 行かねばならぬ
行けば程なく 本堂の手すじ 和尚和尚と 二声三声
和尚びっくり はや目をさまし 夜の夜中に どなたでござる
狐か狸か 迷いじゃないが 文を出したる お杉でござる
お杉さんかや 何用でござる 私しゃ貴方に たのみがござる
そこで和尚が 思案をすれば 竹や木からは 生まれもしまい
お杉さんなら お入りなされ ご免なされと 和尚さんを見れば
そこで和尚さんは のうけてしもて 出家坊さん すっからかんと落ちた
ヤレ ちょいと持時間が来ました
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なお、昭和30年代からは、地域内にある小学校(山田第一小学校)の校庭で行われるようになり、昭和40年代に入ると権六音頭以外に江州音頭や炭坑節も踊られるようになった。
テンポの遅い権六音頭は若い層から敬遠されるようになり、伝承の危機感から地元では、昭和55年(1980)8月に山田権六踊り保存会が作られ、保存伝承の母体となもなり、平成10年(1998)9月30日には、吹田市の地域無形民俗文化財に登録された。≪2004年、吹田市立博物館館報(6):藤井学芸員の報告から≫
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(おーぼら)
コメント
座談会を聞いていて つくづく思ったのは
数ある市の中で 改めて 日本初の大規模ニュータウンや アジア初の万博の開催地やらで 話題には事かかないところなんだなと感じましたわぁ(^^)
権六さんという人は宛先違いのラブレターで発奮させられ、おまけに最後はできたお寺を見上げて後ろに下がって池にハマるという結末…腕はいいのに泣けてくるようなキャラクターで、偉人と言っていいのかどうかわかりませんが一度会ってみたいような気がしました。この歌詞をブログに紹介できないですかね?
歌詞にでてくるのは、お杉さんとお坊さんのことばっかり!権六さんはまったく出てきませんけど・・・
歌詞ありがとうございました!「世界へ届く」とか「中国」とか、さすが後世万博をわがものにする村だけのことはありますね…しかし全然出てこない権六さん、つくづくお気の毒です。だって、だまされて恋敵のために貢献しちゃったんでしょ?涙なくしては語れません…