シンポジウム@若狭歴史民俗資料館

8月7日(日)午後1時30分から、若狭歴史民俗資料館で考古学のシンポジウムがあった。
問題提起は、英国アバディーン大学のピーター・ジョーダン准教授の「土器出現の謎:北ユーラシアの景観考古学」である。

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1.ジョーダンの講義
P.ジョーダン氏は、世界(旧大陸)の土器に関するC14年代データをあつめ、その分布を鳥瞰図化して、土器が出現たあと、なぜ、かくも広く使われるようになったかを明らかにしようとしたものである。

①年代:C14年代法によると土器の出現は20,000年前近くまでさかのぼりつつある。日本では青森県大平山元遺跡の14050をはじめ1万年以上のものが多数出てきている。

②分布:それをマップにおとすと、中国ー日本ーシベリア東部にホットスポットがあり、それが西に向かって進んだ様子が分かる。しかし、最近ではサハラ砂漠から古い年代の土器が発見されているので、土器が東アジアで単独に発生、伝播したといま簡単に言うことはできないだろう。

③原因:なぜ土器が作られ、広く使われるようになったのか。煮沸すれば小動物や種子などが効果的に利用できる、毒やシブを抜きデンプンをα化して消化しやすくする、柔らかくする、保存用(醗酵につながる?)などの用途が考えられる。つまり、土器は氷河期末(洪積世から沖積世へ)の激しく不安定な気候変化に対応して、新しい食体系(たとえば肉食から植物食)を開いたのである。

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2.感想
50年近く前から考古学を始めた私には、この講演は一種、感慨ふかいものだった。日本の考古学者があつまってC14 について討論し、さらに縄文土器を世界的な視点から見るようになったことに対してである。

おもえば、あの頃の縄文考古学は土器、特に編年の研究の最盛期(講座本などには土器しか出てないくらい)だった。そこに大きな事件がおこった。放射性炭素年代によって夏島貝塚B.C.7491±400、すぐあとに、福井洞窟12,000というトンデモ年代が出たのである。これでは、日本が土器の発祥地になってしまう、それまでは中国やシベリアからすべての文化が伝わってきたという仮定に安んじていればよかったのに・・・。

縄文土器編年の研究者が困った理由はいくつかある。まず、土器のはじまりがメソポタミアにありそこから伝播するとした文化伝播説によっていたこと。これではどんなに早くても日本では5000年前になる。

もう1つは、それまで手薄だった旧石器時代研究が充実してきたこと。これが縄文時代に直結していたとすれば、年代に大きなギャップが生じること(そのため先土器時代と呼んでいた)。縄文土器編年を打ち立てた山内清男先生は、「草創期」という時代をもうけてその間をしのごうとした。ただし、山内先生はC14を認めようとはしなかったので、多くの弟子たちもそれに同調し、あれは怪しいという雰囲気が出来あがっていったのである。

C14が怪しいと言う言説には聞くべき点もある。それは、年代の性質である。C14は残存物質からでる放射線の量を測り、その平均値を偏差値とともに示すという統計的数値であること。ほかにも、放射能の時代差、地域差、コンターミネーション(汚染)、機械の狂いなど多くの問題を含んでいる。したがって、文字記録とくらべるとブレをふくむ。一方、土器編年では、時間経過がほぼ完全に把握できる。しかし、それはかぎられた地域にだけのこととなり、いわば、「国学」になってしまう。この小さなブレが、(いつのまにか)歴史的記述を目指すようになった考古学者にはたえがたかったようだ。しかし、似たような問題は世界の各地にあったはずだが、それぞれ乗り越えて、現在ではC14年代が先史学研究を変え、考古学者にとっての共通手法になっているのである。

考古学の世界も時代の流れとともに大きく変わりつつあることを実感した。
(カンチョー)

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コメント

  1. こぼら より:

    すみませ~ん、上の写真はジョーダンさんではなくて、カンチョーです。「若狭湾、三方五湖の常神半島近くの海岸でアチョーをしているところ」だそうです。

  2. okkun より:

    ひとけのないところで盆踊りの練習…をしているのかと思いました。きれいな海ですね。

  3. おーぼら より:

    三方五湖の放射線の空中線量を計測してるのかともおもいましたが、どうやら右手人差し指の左から海に伸びてる白い線がkeyですね。

  4. こぼら より:

    おーぼらさま、カンチョーの右手アップ写真を追加掲載しました。ご推察のとおりでございます。

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