8月13日(土)午後2時から産業技術総合研究所の寒川 旭さんが「東日本大震災と大阪の地震-地震考古学からみた21世紀の大地震-」というテーマで東北地方の地震の歴史と、やがて来る南海地震について講演会されました。
寒川さんは香川県出身。香川県では寒川を「さんがわ」と読むそうです。将来は漫画家になりたいと思ってたそうです。
講座室には120余名の聴衆があつまり、今年最高を記録しました。もう少しで立ち見がでるところでした。
今回の大地震と津波に対して想定外という言葉をよく聞きますが、平安時代に編纂された日本三代実録(にほんさんだいじつろく)には貞観11年5月26日≪869年7月13日≫の夜、多賀城城下まで津波が来たことが書かれています。日本三代実録の編纂には、かの有名な学問の神様、菅原道真もかかわっているもので内容の信頼性は高いものです。
以下数行おーぼらが追記
今月(平成 23年 8月)出された「多賀城市震災復興計画の骨子」は次のような被害状況の描写から始まっています。まさに日本三代実録の再現です。
市内震度も5強を示すという超巨大地震と、市内で最大4メートルの浸水高を観測した大津波が、多賀城のまちに壊滅的な被害をもたらしました。市域の3分の1(約662ha)にも及んだこの大津波によって、多くの尊い命が奪われ、また、大津波とともに漂流してきたがれき、自動車、タンクローリーなどによって、多くの家屋や工場、道路や下水道などといった多くの重要施設が、甚大な被害を受けました。
復興に向けた重点課題として次のように書いています。
住まいの状況として、市域の約3分の1のエリアが津波浸水被害を受け、全世帯の5分の1程度 約5,000世帯の家屋が浸水し、居住環境が損なわれています。 また、しごとの状況として、浸水区域内世帯の世帯主の約14%がこの大震災に伴い、職・しごとを失っています。 市内の経済・雇用の拠点である工場地帯が、津波による甚大な被害を受け、壊滅的な状況で、一部撤退・廃業する企業も見受けられます。 これまで本市の経済面、雇用面を支えてきた工場地帯の企業が再生不能となり、工場地帯としての経済活力拠点機能が喪失されることによる社会的な損失は計り知れないものとなります。 こうしたことから、本市の復興にあっては、住まい・生活環境の再建はもちろんのこと、市民の元気・活力を担う産業の再生・再興(しごと・職の確保)が必要不可欠な状況にあります。
今後の防災では
「数十メートルの防潮堤を設置している自治体においても、大津波を食い止めることができず、大きな被害を受けました。こうした結果を踏まえ、国では、科学的な知見を基に最大クラスの津波を想定した場合、施設や構造物による防潮対策には限界があるとし、このような大津波に対しては、避難・逃げるが最も重要なものであるとの考えを打ち出しています」と津波から逃げるという賢明な方針をにおわせています。
プレートがもぐりこむことによっておこるプレート境界型の大地震は古文書からその発生時期がわかるのですが、古文書に記載がないため、地震の空白地帯がありました。20余年前から地震考古学という手法で調査してきたところ数か所の空白がうまりました。遺跡発掘で液状化に伴う噴砂の跡で地震の発生時期がわかるのです。
この巨大地震年表から推測すると今世紀のなかごろまでには必ず南海地震と東南海地震がおきることでしょう。その時の揺れ方は阪神淡路大震災の時のような突き上げるゆれではなく、ゆ~らゆ~らと10分近くも揺れる地震でしょう。そのような地震を感じたら、大阪では2時間以内に津波が来ます。地下にいたらもちろん、地上にいても高い場所に移ることがたいせつです。
(おーぼら)
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コメント
今回の特展は「キャラクター路線化」が強力に推進された初の特展として、すいはくの歴史に刻まれることでしょう…。