フォーラム「ラジオの時代」

3月20日(火曜・祝)14:00~15:30
フォーラム「ラジオの時代」
 小佐田定雄氏(落語作家)
 かんべむさし氏(SF作家)
 堀 晃氏(SF作家)

きょうのテーマである小松左京のラジオ時代は1964年から1970年前半のことでカンチョーは大学を卒業して東京やカリフォルニアにいたのでラジオ大阪を聞くことができなかったのです。
だからきょうの司会はかんべむさしさんがしました。

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小松さんは小学5年の1940(昭和15)年にJOBK(現在のNHK大阪)で「こども放送局」という番組で司会進行役をしたと自伝に書かれています。
民間放送ができたのは昭和26(1951)年9月1日の午前に名古屋で中部日本放送が誕生したのが最初でその日の午後に梅田阪急百貨店にスタジオを持つ新日本放送(NJB:その後MBS毎日放送)が生まれました。
同年11月にABC朝日放送が生まれ、ラジオ大阪は昭和33(1963)年に開局しました。
左京さんはS29(1954)年京都大学を卒業し経済雑誌社「アトム」で編集に就きました。ラジオ大阪が生まれたS33年に27才で結婚。
翌年からラジオ大阪で夢路いとし・喜味こいしの時事漫才の原稿を書く仕事、漫才作家の仕事をはじめました。
先ごろ遺品から当時の台本が出てきました。母親(その後奥さん)が残していてくれたものだそうです。

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ラジオ大阪は桜橋のサンケイ会館ビルにありました。
ラジオ大阪に出入りしていた小松左京さんはサンケイホールで開かれた桂米朝さんの落語会で「地獄八景・亡者の戯れ」を聞いて感動して楽屋に米朝さんを訪ねたのが出会いだそうです。
それを契機に米朝・左京のコンビができました。
くだんの『題名のない番組』通称:ダイナシは1964年11月から1969年4月まで4年半の間放送された名番組です。
左京さんは遅刻の常連でした。
梅棹さんたちと「万博を考える会」の勉強会を京都でやっていたため遅刻したようだ。ひどい時は番組の最後の挨拶に登場したこともありました。

内容は聴取者(リスナー)からの投稿が中心の番組でその投稿内容の知的レベルの高さがすごかった。
4年半の投稿の中で最高傑作は杜甫(とほ)の漢詩「春望」のパロディで「貧乏」
障子破れて 桟(さん)があり    国破れて 山河在り
蜘蛛の巣はって しけモクふかし   城春にして 草木深し
時に感じては 娘にも涙を注ぎ    時に感じては 花にも涙を潅ぎ
別れを恐れては 妻にも心を驚かす  別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす

家賃は3カ月に連なり        烽火 三月に連なり
契約 晩期にあたる         家書 万金に抵たる
白頭をかけば さらに短く      白頭 掻けば更に短く
すべて貧に耐えざらんと欲す     すべて簪(しん)に 耐えざらんと欲す

「ヤットン節」のパロディ
でもするなデモするなのご意見なれど ヨイヨイ
学生はデモやらずにいられるものですか ダガネ
あなたも学生の身になってみやしゃんせ ヨイヨイ
ちょっとやそっとのご意見なんぞでデモやめられましょか
トコ ねえさん 石持ってこい

元歌「ヤットン節」
お酒呑むな酒呑むなのご意見なれど ヨイヨイ
酒呑みゃ酒呑まずに居られるものですか ダガネ
あなたも酒呑みの身になってみやしゃんせ ヨイヨイ
ちっとやそっとの御意見なんぞで酒止められましょうか
トコ ねえさん 酒もってこい

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採用され放送された小佐田さんの作品1

当時の佐藤内閣を皮肉ってブルー・サトー 〔ブルーシャトー〕
無理とひずみに包まれて
静かに眠るブルーブルーブルー佐藤
ワイロがくるのを待っている
政治屋かかえたブルー ブルー ブルー 佐藤
きっとあなたは
アホな議員のつらい言い訳苦しくて
涙をそっと流すでしょう。
黒い霧のガウンにつつまれて
静かに眠るブルーブルーブルー佐藤

小佐田さんの作品2「さっちゃん」→「えーちゃん」
エーちゃんはね栄作っていうんだほんとはね
だけど人気がないから自分のことえーちゃんと呼ぶんだね
おかしいねエーちゃん

OBCから送られてきた記念品はシャープペンシルで2週間使ったらこわれたそうです。

このように徒然草、枕草子、大鏡、増鏡や百人一首などのパロディが毎週放送されました。
そのレベルの高いこと。
ずっと後の話で小松左京さんが大蔵省に行った時、用事が終わって帰ろうとしたら
ある官僚が「私は題なしに一度採用された」と告白してきたそうです。
すぐその場でうしろから若い官僚が「私は2度採用されました」と言ってきたそうです。
たぶん灘高から東大へ行ってキャリア官僚になった人だったのだろうと左京さんが語っていました。
(このセリフは筆者おーぼらも左京さんから直接聞いたことがあります)

小佐田さんが言うには「題なしは上は落語作家から下は大蔵官僚までが聞いていた番組」とのこと。

米朝・左京、二人の知識はとほうもないもので、酒の席で漢詩や軍歌を語り歌いだすときりがなかったものです。

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番組は69年4月9日で終わったのだが最後の番組にすごい投書が来た。
終戦詔勅全文のパロディだ。見事だった。プロのワザだった。

パロディは元を知っててこそおもしろい。しかし現在は知識が広がりすぎてまんべんなくみんながアホになってきてるので
パロディを作りにくい時代になってきた。
(常識という意味から言うと)いまや忠臣蔵が危うくなっている。大石内蔵助が通じなくなって来ている。
「え?日本とアメリカと戦争したの?で、どっちが勝ったの?」というレベルになっている。

このあと米朝さんが関西テレビで「はい土曜日です」を始めた。これに小松左京が数回飛び入りしてやがてレギュラーになった。
今ではあり得ないが、その番組で小松さんはたばこを吸いながらニュースの解説をしていた。

「あんだけ偉い人があんなあほなことをしている。そこが偉い!」というのが関東にはない関西の乗りでしょう。
その代表が小松左京であり桂米朝さんなのでしょう。小山館長もそのたぐいですね。

この番組をしている間にもSF小説を書いていた小松左京さんはどこまで大きな人間だったのか
・・・はなしは続きました。

終戦詔勅のパロディ
 朕、深くOBCの大勢と番組の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なる爾聴取者に告ぐ。
 朕は、題名のない番組をして、ラジオ大阪に対し、その中止宣言を受諾する旨通告せしめたり。
 そもそも、ラジオ大阪の繁盛を図り、レギュラーのギャラをはずむは、番組開始当時よりの志にして、朕の献金おかざるところ。
 先に、竹本浩三のギャラが安いといえる所以もまた、実に番組の自存と経営の安定とを庶幾するに出て、お荷物となり、ラジオ大阪にやっかいをかけるが如きは、もとより朕が志にあらず。
 然るに、放送すでに四歳を閲し、朕が米朝の奥目、左京のモク、朕が美智子のペチャンコ、各々その個性をふりかざすにかかわらず、経営必ずしも好転せず、放送の評判、また、我に利あらず。
 しかのみならず、スポンサーは次々と番組を見捨て、ギャラを脅かし、しわ寄せの及ぶところ景品をケチるまでに至る。しかも、なお、放送を継続せんか、ついに番組の滅亡を招来するのみならず、ひいてラジオ大阪を倒産にまで追いやるべし。
 かくの如くんば、朕、何をもってかギャラをいただくラジオ大阪に謝せんや。これ、朕が、題なしをして中止宣言に応ぜしむるに至れる所以なり。
 朕は、題なしとともに終始放送に協力せる聴取者諸氏に、遺憾の意を表せざるを得ず、題なしファンにしてパロディーを考え、投書し、没にされたる者及びその葉書の山に想いを致せば、五内ために逆らわず、かつ、採用されながらも景品未だ受け取らざる者に至りては、朕の深く軫念するところなり。
 思うに、今後、題なしファンの受くべき苦難は尋常にあらず。
 爾愛聴者の衷情を、朕、よくこれを知る。しかれども、朕は、時運のおもむくところ、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、もってラジオ大阪のために題なしを、お開きにせんと欲す。
 朕は、ここにラジオ大阪を愛聴しえて、忠良なる爾愛聴者の期待に応え、常にラジオ大阪と共にあり。もし、それ情の激するところ、みだりにラジオ大阪に圧力をかけ、殴り込みなどして題なしファンの信用を世界に失うが如きは、朕、最もこれを戒しむ。
 宜しくこそ一同子孫相伝え、かたくラジオ大阪の不滅を信じ、任重くして道遠きを思い、総力を次の番組の愛聴に傾け、道義は篤くして、OBCのみを聞き、誓って他の放送局にたぶらかされず、世界の進運に遅れざらんことを期すべし。
 爾愛聴者、それよく朕が意を体せよ。     プロデューサー御璽

終戦詔勅:原文は こちら

(おーぼら)

コメント

  1. kancho- より:

    久々に力の入ったおーぼらさんの速報でした。ナンダ高でしたね。

  2. okkun より:

    小山館長もそのたぐい…(爆)、そうか、こんなあほなことやってるけどえらかったんや!

    佐藤政権は7年も続いたからおちょくりがいありましたね。最後の「新聞は出てってください」まで、見事な幕切れでした。

  3. 団塊の婆 より:

    それにしても3人のトークはすごかったですね。
    縦板に水とでもいうのか、話術というのか、ただただすごい!

    そして、今日の参加者はカンチョーの秘密を一つ知りましたね。

  4. おーぼら より:

    佐藤榮作内閣が1964年11月9日-1972年7月6日だったのでダイナシはモロ佐藤内閣と同時スタートでした。
    ダイナシは1964年11月-1969年4月なので、それは東京オリンピックの終了と同時にスタートしたともいえます。すなわち東京五輪と大阪万博とのつなぎの時間を埋めてくれた番組だったのです。

  5. てつ より:

    いやあ 楽しい講座室でした。香川県知事になってたかもしんないカンチョーの話が一番腹抱えて笑えましたが(^O^) おーぼらさん ほんま 気合いはいってますね♪

  6. okkun より:

    カンチョーが香川県知事?…それが「秘密」でっか?今からでも遅くない!

    ぜひおーぼらさんの再現全採録をきぼんぬ。

  7. てつ より:

    みんぱくから カンチョーを追い出そうとした 石毛&小松 その他諸々は 当時香川県知事選があることに目をつけ 100万円に目がくらんだカンチョーは 出馬寸前までいくも 云々かんぬん(#^.^#)

  8. てつ より:

    あ・・・okuunさん ミクシィの拡散の効果がありました 一度 ログインしてみてください

  9. てつ より:

    久しぶりに「すいはく」に行ったんですが、いつものごとく人が集まるか不安だったカンチョー M氏やO氏やてつの顔見るとほっとするわ を聞いて また 涙がこぼれました 心配に及ばず駐車場は満車でしたから(^O^)

  10. okkun より:

    てつさん、mixi見ました。宣伝ありがとうございます!今回の小松左京展は「濃い」企画がいっぱいですね!

  11. てつ より:

    当初 ただの写真展か・・・と関心なかったんですが
    行ってみて 小松さんの偉大さがどんどんわかり 面白い交友関係や活動等 SF小説家としてより その他のことがどんどん出てくるので はまりはじめています 
    さすが 小山館長 いい仕事してますね♪

  12. てつ より:

    平成25年2月3日 節分の夜 21時からのMBS放送ラジオ 角淳一の「大人の駄菓子屋」 毎日放送に勤め上げ退職された人気アナウンサー 角(すみ)さんが在職中 ずっと退職したらやってみたかった番組 そのゲストが 昨夜 小佐田さんでした 小松左京さん 桂米朝さんの話題たっぷりの放送でしたよ

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