外国人に日本文化を紹介する時、「ワビ」、「サビ」、「シブイ」などとよく説明します。それは、中西家の名品展の展示品を見ていても確かにあたっていると思います。簡素な形、モノクローム、すっきりといった表象は、稲作を本格的にはじめた弥生時代に元がある。表面が磨かれ、ほとんど文様のない弥生式土器がそうです。ところがその前の縄文時代の土器は、ごてごて飾り立て、奇怪なかたちをしている。それを岡本太郎は日本文化のなかにある「原始の力だ」といいました。それでは、日本文化のなかから縄文的なものは消えてしまったのでしょうか。そうではないとおもいます。
辻惟雄さんは『奇想の系譜』で日本絵画のなかで、岩佐又兵衛、国芳、若冲、芦雪などの、グロテスクと言うか原始的パワーを秘めた一連の作家をとりあげています。今のわたしたちのなかにも、祭りの山車や参加者の衣装がそのようです。この間、ある中学校の卒業式帰りの一団に出あったときには、驚くとともに、ここに縄文パワーがある!と妙に納得したものです。
シブイものが多い中西家の名品の中にもそんな縄文パワーの一端がかいま見える作品として「タイの器」に注目してみました。
(カンチョー)
尾を勢いよく跳ね上げた赤い鯛形の器。胸びれ部分が蓋になっていて、中に物を入れられます。底の部分もしっかりと鯛の形につくられていて、見る者を飽きさせません。蓋裏には「道八」の署名があり、箱にも署名「道八」と「道八」(朱文法螺貝形印)が押され、有名な仁阿弥道八(1783~1855)の作とわかります。仁阿弥道八は、二代目・高橋道八のことで、京都・粟田口に窯を開いた初代高橋道八の次男にあたります。高い技術が評判を呼び、各地の大名家、寺院などから注文を受けました。作品は器だけではなく、人物・動物・魚貝などを得意としました。
なお、箱蓋裏には、中西八兵衛による墨書があり、それによると、本作は、正月の祝いの席で使われた器で、淀藩藩士とみられる堀田氏から拝領したといいます。中西家と淀藩とをつなぐ資料としても重要な作品です。
(terra)
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