中西家の絵画: 春季特別展「大庄屋中西家名品展」(その7)

画像日本の絵画は、ヨーロッパで、琳派の金箔や装飾的デザインをつかった絵(光琳:紅梅白梅図など)が評価されました。たとえば、クリムトの絵(接吻)がそうです。もう一つは浮世絵、とくに北斎の大胆な構図がゴッホやモネなどに影響をあたえたことはよく知られています。しかし、南画とか文人画と呼ばれる絵は中国の作品をお手本にしたため(中国にはすごい作品がたくさんありますから)、両者ほどのインパクトを与えなかったようです。
 
中西家の絵画は、1.掛け軸、2.額、3.ふすま、4.衝立、5.屏風に描かれています。なかでも多いのは掛け軸で、専用の箪笥に書も合わせて100点をこえる作品があります。これは四季に応じて床の間に掛け替えるからでしょう。季節を重んじることは俳句に通じるものがあります。主題は花鳥、草花、人物、山水。幕末の大坂近郊のコミュニティーの教養、文人画の「俗を去る」雰囲気が強く出ていると思います。

中西家のコレクションに浮世絵系の絵が少ないことに注目してみましょう。新興都市江戸の画壇は、江戸時代も中期になると、ごった煮のバイタリティーにみちており、役者絵や美人画、名所絵などの浮世絵版画が大流行します。ところが、それらは、現在の新聞や雑誌とおなじ大量印刷物でもあったために、京都画壇の伝統を因守する社会は、そんな俗っぽいものは受け容れられなかったのでしょうか(日本で浮世絵の価値が認められるのはずっと後、逆輸入によってでした)。それでも、先日「その6」で紹介された月岡雪鼎作品や、今回の三畠上龍作品のように、掛け軸になった肉筆浮世絵があることは、彼らも流行には決して無関心ではなかったことをしめすのか、あるいは、時代の流れが反映されていると見るべきでしょうか。
(カンチョー)

画像三畠上龍筆「山姥と金太郎図」

山姥の乳房にしゃぶりつく金太郎。金太郎は足柄山で山姥が生んだ子だという伝承がありました。浮世絵の画題にもなっていて、喜多川歌麿などの作品もあります。絵は、天保期(1830~44)に京都周辺で活躍した三畠上龍です。肉筆の美人画を得意としました。

(terra)

コメント

  1. 団塊の婆 より:

    なるほど、江戸にいくのを「下る」と表現する関西人の意地のようなものですかね、いや、自尊心ですか。
    道産子には理解しかねます。

  2. terra より:

    江戸に対する上方の自尊心、かなり強いものがあると思いますが、信州人にもまだまだ理解できません

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