すいた市民環境会議会報誌から会長コラム

すいた市民環境会議会報誌(2012年6月通巻81号)で小田忠文会長がカンチョーとの交遊録を語っています。許可を得て転載します。

画像吹田市立博物館(すいはく)の小山館長が5月31日で退官なさいました。私とすいはくとの関係を振り返ってみますと、そもそも吹田市に博物館があるということを実感したのは1997年ころでした。
当時の旧庄屋屋敷保存活用会(西尾邸保存会)で保存活用のための運動をしていたころ、西尾邸を記録するために博物館が悉皆(しっかい)調査をしに来たときでした。灯籠や庭石の一個までもを記録していく調査なので、ものものしい感じがして「博物館ってこわいところ」というのが第一印象でした。

画像私は翌年98年からは紫金山公園で「紫金山みどりの会」の一員として、衰退してきたコバノミツバツツジの復元のため、林内で常緑樹の伐採などの管理活動をしていました。それは毎回、博物館を見ながらの作業でした。2000年からは「吹田風土記の丘基本計画策定市民委員会」の委員として基本計画策定に参画して紫金山公園のあり方を考えていました。
そのときの委員のあいだでは「博物館=教育委員会は治外法権」という共通認識があり、恐れ多くて答申には「博物館の役割」という言葉すら書くことはできませんでした。今から思えば「紫金山公園における博物館の役割」という章立ては不可欠だったでしょうに。

一方そのころ、琵琶湖博物館の見学を契機に「博物館を評価する時代だね」という共通認識も醸成されていました。そのような状況のとき、2004年初夏に「すいはくに新しい館長が着任した」といううわさが流れました。
画像「小山という人らしいけど、私たちと意見が合う人なのか。一度、話しあってみよう」と11月に小山さんを囲む夕食会を催しました。小山さんの人柄、教養、リーダーシップそしてそのルックス(笑)などで、話をはじめて30分もたたないうちに「博物館を盛上げる会を作りましょう」ということになってしまいました。

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翌05年8月に「博物館を盛り上げる会」の発足会を開いたところ20人が集まりました。「博物館をどげんかせんといかん」という市民と館長のおもわくが一致した瞬間でした。秋になって博物館が翌年06年春に開催する「千里ニュータウン展」を企画運営する市民委員を募集したところ、盛り上げる会の大半の人が市民委員になっていました。

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毎年2億7千万円余りの税金が注がれていたそれまで博物館の来館者数が多い年で約1万6,000人、少ない年で9,000人余りだっただけに千里ニュータウン展が開かれていた40日間で3万人を集めたことには誰もが驚きました。

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そのころから私を含め、数名の市民が分担してブログですいはくを紹介する方法がとられ今もブログは続いています。そして2007年の万博展やその後の吹田の自然展などと、小山館長の在任期間中、「特別展を市民が企画し運営にもかかわる」という吹田方式が続いてきました。これは全国的にも珍しい博物館の形態だそうです。

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(おーぼら)

コメント

  1. 団塊の婆 より:

    なんだかみなさん、お若い!
    少しだけね。

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