先週織田信長に対して謀反を起こした荒木村重が、妻子を残して有岡城を脱出し尼崎城に入ったところが放映されました。平成21年度秋季特別展「北摂の戦国時代」で紹介したように、このとき城の女性たちの警護のために残ったのが吹田氏です。
吹田氏は信長配下の高槻城主和田惟政に元亀2年(1571年)滅ぼされました。その後、荒木村重の弟が吹田因幡の娘をめとって吹田村氏を名乗りました。村重が謀反を起こし、有岡城を脱出して、有岡城が落城したため、信長は見せしめとして村重の妻をはじめとする一族を京で処刑しました。このとき、城を守っていた吹田村氏とその妻(吹田因幡の娘)も処刑されたのでした。まだ、20才と16才の若い二人でした。荒木氏とつながることで命脈を保っていた吹田氏は滅亡してしまったのです。8日(日曜)は処刑のことが放送されると思います。吹田氏のことは出てこないとは思いますが、吹田氏に思いをはせて見ていただけたらと思います。
(I)
コメント
8日(日)8:00pmからの放送は見逃せませんね。「吹田氏も滅亡!」ですか。
ドラマは見てませんが、シロさぎ城は来春見に行きたいもんです。ところで、すいた城はどこにあったのか全く不明なのでしょうか?
『東摂城址図誌』(明治初年、各地の城址の伝承を図示したもの)によると、吹田城は、今の吹田第三小学校の南、高城町のあたりにあったと推定できます。是非「北摂の戦国時代」の図録を見てください。p3に写真と文章が出ています。明治の伝承ですので、あくまでも可能性の一つですが・・・。
やはり 地名に 城がつくんですね