館長ノート 15

千里ニュータウンの食 2

ケロッグがコーンフレークを売り出そうとしたとき、テレビCMをとる場所は「絶対に千里ニュータウンだった」と関係者からきいたことがあります。それが実現したのかどうか、そうだとすれば、ビデオが残っているのか、大変興味のあるところです(情報をお持ちの方はいますか?)。
白亜のビル、食事専用のダイニングキッチン、そなえつけのテーブルで核家族(パパ、ママ、お兄ちゃん、私)が、新しいかたちの朝食をたべるというイメージは、当時の住宅の最前線、千里NTにぴったりだし、実際もそうだったのでしょう。それは新しく日本がめざす姿であり、そうなって今日に至っているのです。
千里に限らず、当時のニュータウンの設計にあたった人々は「食寝分離」のアイデアに大変熱心でした。畳の間の布団を上げ、ちゃぶ台をかこんで家族(ここにはジーちゃんバーちゃんがいる)が、みそ汁、焼き魚、漬け物を食べている、それまでの光景とは対照的なものでした)。しかし、手早く、便利な食事は、個食やファストフードへと動き、食を中心にした家族像の崩壊にいたることを、予想した人はあったでしょうか。

コメント

  1. ドーナツ子 より:

    ニュータウンの食で考えましたが、これと言って名物もなし(?)。コンフレークスか・・・ そうそう、ミスタードーナツがありました。1971年導入です。吹田に本社もあります。出始めの頃、こどもとよく買いに行きました。(吹田ではなく芦屋でしたが)新しいフードショップスタイルでした。ダスキンの会社自体が床掃除などのレンタル雑巾で、売り出した新しいスタイル企業です。博物館で売ってもらいましょうかね。

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