グローバルとローカル---NT展の「生活」展示
今回の展示を討議していて、いつも出てくるのは、とくに身のまわりにある候補品について、これは千里ニュータウンだけのものだろうか、おなじものは全国どこに行ってもあるよ、という問題です。ここでは、この展示を生活を再現する民俗学的なものと仮定して考えてみたいとおもいます。
いま、全国津々浦々に郷土資料館と銘打ったものがあります。そこに置かれているのは、いわば民俗学の守備範囲のもの、とにかく、ふるーい感じのものばかりです。日本は明治時代まで、行政は藩が単位でした。それが基本的には閉鎖的だったので、藩内では自給自足にちかい生活と生産が行われていました。したがって民具、日常品、生産品は、たとえ名前や用途がおなじであっても、それぞれの地にみあった独自の工夫が施された地域性のつよいものでした。地域差を見ることが、民俗資料館を訪れる目的や楽しみの一つだといえるでしょう。
ところが、第二次大戦後、工業化が進むにしたがってモノのあり方に大きな変化が起こりはじめました。多くの品物がもっとも効率のよいもの、価格の安いものを目指して作られるようになったからです。だから、必然的に一局化し、大量生産の方向へと動くことになりました。それをマスコミが助長した、文部省がつよく指導した義務教育もその一翼を担ったとおもいます。たとえば車や電気製品は、一般的であればあるほど、せいぜい数社の製品しかない状態からそれがわかります。
1962年から入居がはじまった千里ニュータウンは、すでに述べたように、消費社会であり、情報社会でした。生産ー消費システムが大きく舵を切り替えた新時代の先端を進んでいたのです。製品名よりブランド名、そして、コマーシャルソングや人口に膾炙(かいしゃ※1)したコピーがまず浮かんでくるのはそのせいでしょう。
個々のモノに重点を置く従来の民俗学的手法はもう通用しない、それでは展示は不可能か?そうではないと思います。大量にあふれる品々のなかから、何を選んだのか、どう使ったのか、つまり、組み合わせと配置が千里NTの性格を浮かび上がらせるはずです。大変難しい作業になりますが、成功すれば、将来の博物館展示のあり方に大きな刺激を与えることになるでしょう。
※1膾炙(かいしゃ):人々の評判になって知れ渡ること
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