大阪大学教授副学長・鷲田清一氏の講演
「千里は千里眼をもてたか?」
鷲田先生は、千里ニュータウンのご近所:大阪大学の哲学教授として、また副学長として長く千里とかかわってこられました。この講演では、基調講演として深く包容力のあるお話をわかりやすい言葉でお話くださいました。
「千里ニュータウンにも町の歴史が生まれていると、感じました。」と柔らかい話しぶりで展示会場をみての感想から、お話がスタートしました。
ニュータウンと呼ばれる町が地域力を持ちにくいのは、わたし達の生活の外側を感じさせる世界が存在しないから(哲学表現では汎世界というのだそう)と、具体例をあげて説明してくださいました。
まず、何百年と生き続ける大木がないこと。それにより、わたし達の一生という時間を超越する時間軸を、体感することができない。つぎに、宗教施設がないこと。それにより現世以外のあの世をイメージすることができない。そして、場末がないこと。それにより裏側の世界を知ることができない・・・そうだなあと思わずうなずきました・・・。
また、地域力がなくなったワケを、近代化という大きな目でも指摘してくださいました。
住まいが鉄やコンクリートで閉じられた空間になり、家というしがらみから家族を切り離したこと。そして、命にかかわることや命の世話を自分でできる人が減り、また、共同で命の世話をしなくなったこと。たとえば、食べること、排泄、出産、看取り etc.. 近代化とは孤立化であるとのこと。
これらニュータウンとしてかかえる問題と、いまの日本に共通の問題に対して、千里ニュータウンは、日本初の地縁や血縁をもたない作られたコミュニティとして、検証作業をするべきだと提示してくださいました。同じニュータウンでも、酒鬼薔薇事件のような凶悪犯罪が起こっていないのはなぜなのか。 できたこと、できていないこと、良いこと、悪いこと、etc… いろいろな検証ができるのではないだろうかと、お話を締めくくられました。
先生は、千里ニュータウン展が持つ意味を教えてくださいました。これから6月4日まで、千里ニュータウン展にお越しいただき、参加してくださるすべての方と共に、ささやかでも検証作業の一つをつくることができれば、嬉しいです。
鷲田先生、そして、ご来場いただいたみなさま、ありがとうございます!
(広報@おかきた’まり)
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