わたしと万博(27)…万博カヤの外

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ミンパクのK教授にインタビューしました。
当時、京都にある大学の3回生。万博に対して斜に構えていた年代の人です。

-学生はあんまり万博に行かなかった?
K 万博は70年安保の目くらましであるといって、行くのはあほやという雰囲気やった。大学生はみな、そう思うてた感じやった。

今の大阪城公園で、反博の集会があって、それに行った。3日間くらいやってたんとちがうかな。いっぱい屋台がでたり、誰かが演説したりね。でも、しょぼいお祭りやったなあ・・・
うちの父が行きたいもんやから買うてきた会場の地図が残ってるんやけども、子どもらはみんな無関心やった。

-ご両親はいらっしゃった?
K いや、行ってないとおもう。(地図を広げながら)あれ、入場券(未使用)が2枚も残ってる、大人一人800円。当時、これはけっこう高かったんとちゃうかな。たとえば警官の初任給は、昭和45年で2万9千円やから。

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でも・・・・・
K ホントは行きたかったー !!やせがまんしてただけ。せやから、みんな、隠れて行ってたんやないかな。
-隠れて行ったんでしょう?
K いや、行ってない。ただ、私は鉄道ファンなので、新しく鉄道が伸びた北大阪急行に乗って、万博期間中、お祭り広場のところにあった万国博中央口駅まで来た。お祭り広場の屋根をホームから眺めて、本当は行きたいんやけどなーと思いながら、改札から出ずにそのまま梅田まで帰った。アホやね(warai)

写真上:未使用の入場券(K先生蔵)
写真下:翌1971年、大学構内にて

コメント

  1. ケンタン より:

    大阪万博のチケットは2005年愛知万博でも入場可能ではなかったしら。もっと前の幻の東京万博はだめだったが。ちょっと勘違いしているかも。でも骨董品的な価値はありますね。なお、愛知万博のチケットはICチップ入りで今でもエコマネーに使ってますよ。

  2. Mamo より:

    1970年の夏休み、当時、高校1年生のボクは友達4人と一緒に「人類の進歩と調和」をこの目で見ようと田舎から見に来ました。田舎もんの当時のお決まり、親戚(京都在住)に無理を言い、1週間位泊めてもらい毎日出かけて行きました。ブリティッシュコロンビア館の巨木、ソ連館の真っ赤な壁見たいな建物、夜のスイス館、色々な建物に目を奪われ、動く歩道で未来を感じ、太陽の塔の内部の「生命の樹」に35億年の地球の歴史を感じました。純粋で多感やったな。でも、何故か大阪万博と言えば一番は三波春夫の歌。「こんにちはこんにちは世界の国から ・・・・」何でやねん。もっと未来を!!

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