賭博事件に続き、ついに八百長メールが出てきて、大阪での春場所の開催が危ぶまれています。八百長については、過去に、何度も週刊誌ダネになっていたし、普通の人もなんだかおかしいということは感じていたはず。大関陥落、幕内から十両、十両から幕下、そこには、地位、賃金それにメンツもかかるのが多分おおきなところで、私もファンの1人として「惻隠の情」があってもいいのにと思うことがしばししばありました。
むかし、ミンパクの研究会で、相撲はスポーツか芸能かという議論をしたことをおもいだしました。だんだんスポーツ化されているが、あれは基本的に伝統芸能である、日本文化研究の対象に十分なる、というのが結論でした。ちょん髷をはじめ、化粧まわし、行事の衣装、升席の飲み食いなどなど、それはそれで楽しく、美しく、興奮する、そして郷土愛やご贔屓。力士が卓越して強いことも事実、あれが大学や国体の試合みたいになってしまえばシラケて誰も見なくなるでしょう。これらはプロ・スポーツに共通するもので、その意味では相撲ももっとスポーツ化してもなりたつとおもいます。
組織を放置しておくと腐敗する、ずっとこれでやってきたのだからといいのだ、文句を言うな、とは言えない時代、支持者の意識がおおきくかわっているのです。そういう意味では、小沢元代表とかチュニジア、エジプトにもつながることかもしれません。
(カンチョー)
コメント
春場所、中止になってしまいましたね。小さいころ、祖母と両親と見に行く「ほんとのおすもう」は、年に一度だけの特別な日でした。相撲では国歌斉唱をやるので、僕は君が代のことを「おすもうの歌」だと思っていたぐらいです。大鵬、柏戸、佐田ノ山…ものすごく「ハレ」の場だったという印象があります。
時は流れて少し前、朝青龍が「横綱の品格」を知らないということが問題になった時、身近にいた人が誰もそれを「言葉で」教えていなかったという記事を読んで、外国人の少年を17歳で日本に連れてきて伝統文化を言語化せず学び取れというのはちょっと滅茶苦茶なんじゃないかと思ったことがあります。世界がフラットにつながってしまっている今、相撲、歌舞伎、狂言といった伝統芸能はいずれも「文化の継承ができない」という問題に直面しているように思えます。後継者がいないから、甘やかす。…ということから今回の問題が出ているなら、「国際化」は避けて通れない道で、ならば「日本の文化」をきちっと言語化することが必要なんじゃないのかなあ。「暗黙の了解」を修業の前提にすることは、無理だと思います。