6月26日(日)14:00から講座室にブルガリアの妖精のようなキュートで情熱的なマリア=ヨトヴァさんが登場しました。
きょうは大阪万博があったからこそ明治乳業がブルガリアヨーグルトを発売するに至ったというお話でした。
ブルガリアはバルカン半島の国。南はギリシャ、南東はトルコ、西はマケドニアとセルビア、北はルーマニア 東は黒海です。日本の三分の一の面積で人口は758万人。首都のソフィアに135万人が住んでいます。
大相撲の琴欧州はブルガリアの古都ヴェリコ・タルノヴォの出身でマリア=ヨトヴァさんは応援しています。
おもな産業は農業・酪農、食品加工そして観光です。みどころとして「薔薇の谷」はブルガリアの中央を東西に走るバルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈にはさまれた一帯で5月6月はバラが満開ででいい香りがします。オイルをとるために栽培されているのです。黒海に面したリゾート地のネセバルは世界遺産になっています。
ブルガリアヨーグルトLB81の主要乳酸菌であるブルガリア菌を発見したのは、ブルガリア人の若き医学生
スタメン・グリゴロフでした。彼は1878年ブルガリアの貧しい山村トゥルンに生まれました。
彼は村の人がお金を出してくれたのでジュネーブの大学で勉強することができました。そして1905年にブルガリア菌を発見しました。
その後、ブルガリアに100歳を超える長寿者が多いことからロシア人のメチニコフはブルガリア菌が長寿/不老と関係あると考えました。メチニコフはその後ノーベル賞を受賞しています。
ブルガリアのヨーグルトは甘くなく、よく固まっているのが良いヨーグルトで、素材は牛、羊、山羊、水牛などの乳です。
ブルガリアではヨーグルトが子どもや老人の主食になっていてタラトルスープは毎朝ブルガリアの食卓に上がります。タラトルスープは特に夏にはぴったりのヨーグルトのスープでニンニクが効いていてクセになります。
ブルガリアが社会主義だった時代に売られてたのは一種類のヨーグルトだけでしたが、今では300種類のヨーグルトが市販されています。基本の味は同じで甘いものはありません。
ブルガリアはカナダ・モントリオールでの博覧会(1967.04)をみてブルガリアをアピールする場として次回の大阪万博には絶対参加すると考えました。(モントリオール博に参加はソ連とチェコだけだった)大阪万博では超人気のソ連館のすぐそばに館をもってきてソ連館に来た人を呼び込む作戦をとりました。
当時のブルガリアの書記長がブルガリア館の開会式に来ました。文化大臣だった書記長の娘さんの考え方は「社会主義は主義は大嫌い」というもので父(書記長)は娘の影響でブルガリア館の目的を「社会主義よりもブルガリアの文化を世界に紹介する」ような構成にしました。
そして天皇陛下がソ連館訪問の話を聞いた駐日大使は宮内庁に「10分間でいいからブルガリア館に立ち寄ってほしい」とお願いし、天皇陛下がブルガリア館を訪問することになりました。
ブルガリア館ではブルガリアヨーグルトは食堂のメニューにあるだけで展示はしてなかったのでした。
そこで少し酒を入れた「長寿のレシピ」のヨーグルトを天皇に食べてもらいました。天皇陛下は「おいしい」「すばらしい」「ブルガリア菌って何?」「100才以上の人いますか?」とたくさん質問して話が止まらなくなりました。訪問の時間は10分の予定が50分になってしまいました。
翌日宮内庁から電話が来ました。駐日大使はてっきり約束時間オーバーの件で宮内庁に叱られると思って覚悟してたところ、宮内庁は「実はお願いがあります。昨日の同じレシピを皇太子にお願いします。皇太子もブルガリア館を訪問したい」と言ってますとのことでした。もちろん皇太子殿下にも少し酒を入れた「長寿のレシピ」のヨーグルトを食べていただきました。
その影響はすごかったです。その後明治乳業さんがやってきました。
日本のヨーグルト:明治乳業
明治乳業とブルガリアの出会いはブルガリアヨーグルトが話題になると明治乳業のトップは研究員を送ってきました。しかし「ブルガリアでは普通の味だが日本人にはスッパイ。日本人の味覚に合わない」「日本では売れない。いいかもしれないが、製品にならない」などの意見がでました。しかし藤井社長は「日本の人にわかってもらうようにすればいい。商品化してください。」と指示したそうです。
そして1年後の1971年、明治乳業の技術者は問題なくブルガリアヨーグルトを作りました。そしてブルガリア大使館に来て「この商品はブルガリアの味だからブルガリアという名前をつけます。」と言ってきました。
ブルガリア国民はローマやトルコに支配されたりソ連の支配を受けたり激動の歴史を持っています。しかしその中で守り続けたものがあります。それは民族の心とブルガリアヨーグルトです。
「他国民が作ったものに名前を貸すわけにいかない。」というのがブルガリア大使館の回答で、「ブルガリアヨーグルト」という商品名はOKとはならなかったのです。明治乳業はやむなく「明治プレインヨーグルト」という名前で商品化しました。しかしその結果は最悪。甘いヨーグルトが常識だった日本で、無糖プレインヨーグルトに日本人は拒絶反応を示しました。一日に300個しか売れない日が続いたそうです。100g容器の時代に無糖で500gは余りにも前衛的な商品で非常識だったのです。開発チームはあきらめかけてきました。
藤井社長は「これは本物の味だから分かってもらわなければならない」「ブルガリア大使館と交渉する」「長寿の食品だ」と頑張りました。やがて徐々に欧米帰りの人や医師からポジティブな反応・投書が増えたきたのです。開発チームは元気が出ました。
ブルガリア大使館としては「本当にブルガリア菌が入ってるのか。」「ブルガリアの自然から分離された菌が入ってないのならブルガリアの名前を使ってはいけない。」との方針から商品サンプルを本国(ブルガリア)に送って品質検査しました。そして技術的には問題ないと認めるようになってきました。
各種契約が結ばれ1972年12月に「明治ブルガリアヨーグルト」が発売されたのでした。そのころのパッケージは現在の牛乳紙パックの形をしてました。
(おーぼら 団塊の婆)
LB81乳酸菌とは
「LB81」は乳酸菌の菌株ナンバーに由来しており、「LB」は乳酸菌を意味するLactic Acid Bacteriaの頭文字で、「81」は使用菌株であるブルガリア菌2038株とサーモフィラス菌1131株の末尾番号を組み合わせたものです。良い風味をつくるLB81菌は整腸作用に優れた乳酸菌です。
株式会社 明治とブルガリア国は、「明治ブルガリアヨーグルトプレーン」発売30周年を迎えた現在でも、乳酸菌の提供など技術・研究において協力関係を続けています。 ヨーグルトの故郷ブルガリアが菌を提供するのは一国につき一社のみ。 「明治ブルガリアヨーグルトプレーン」は、日本でただ一つブルガリアから認められた製品なのです。
(明治乳業のホームページから)
コメント
明治ブルガリアヨーグルトの「ブルガリア」のロゴ(書体)が、大阪万博のブルガリア館の看板から来ていることは、万博マニアの間では有名ですね。
ロゴのお話はなかったですね。
「万博終了時、建物がブルガリアに移築されるという話だったが、その後がわからないどうなっているか」との質問がありました。
マリアさんは「調べてみます」とおっしゃっていました。