7月30日(土曜) 午後2時から博物館学芸員の寺澤慎吾さんが歴史講座「昔のひとは災害をどう考えたか-日本人の災害観とその変遷-」を講演しました。今年4月すいはくに着任した寺澤さんにとって、すいはくでの初舞台だそうです。
地震・暴風雨・日照り・飢饉・疫病などの災害は、いつの時代にもあるわけですが、時代によって人々が考える原因やその対処方法が異なっていました。
古代は、災害は”神”や”天”がおこすものだと考えられていました。日本書紀には地震の神さまが出てきますが、地震の原因は神のいかり、したがってその祟りをさけるために祀られたのです。また、中国からは”天”が為政者の不徳に怒って起こるものだという考え方(災異思想)もはいってきて、災害をととめるため、さかんに加持祈祷がおこなわれました(それしか為す術がなかったんですねー)。災害を契機にした書かれた著作(鴨長明『方丈記』、日蓮『立正安国論』)をみると、このような思想が底流にあることがわかります。
中世になると、農業で重要な水の調整・管理、つまり降雨や止雨など水をつかさどると考えられた「龍」「龍神」の存在がクローズアップされます。鎌倉時代の日本図には龍がぐるっと国土をとりまいているものがあり、龍は日本を守護する存在としてとらえられるようになります。そして地震や噴火は、その龍が地底で鳴動しているのだと考えられました。
近世になると、地震龍は地震鯰へ変化し、多くの鯰絵が登場しました。
カンチョーは丹波でナマズを焼いていたので、乱入はなく、平穏無事に終了しました。
(おーぼら、こぼら)
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