先日、司馬遼太郎さんの「一夜官女」という小説のことを述べましたが、この物語は岸部村のどんじ祭りを支えている物語です。その核となっているのは「美しい女」が「身を捨てて」自らの「村を守る」ことだと思います。同じテーマはじつは世界中に、古くからあるもので(ジャンヌ・ダルクとか、女でなくてもよければイエス・キリストも)、日本では荒波に身を投じて日本武尊を救った弟橘姫がそうでしょう。
一夜官女の物語には、江戸期という時代に生きた女性の姿がつよく反映されているとわたしは感じるのです。江戸時代は女性に大きなストレスがかかった時代でした。幕藩社会は儒教を基本とした幕藩体制、階級の上位におかれた武家社会、それが理想形として庶民の間にも浸透していったのです。「女は三界に家なし」、「女子と小人は養いがたし」、「男子厨房にいるべからず?」といった、今なら確実にセクハラになる言葉があるように、なんともすごい男性社会だったのです。
ストレスは身体面にも強くかかっていました。それは寿命の歴史からもよくわかります。
縄文、弥生時代は男女の平均寿命はほぼ1:1の割合でした。その後、古墳、室町時代は、やや女性のほうが長命、そして現代は女性がずっと長生きするようになりました。しかし、江戸時代は女性が極端に短命なのです。しかも、結婚が早く、若くして出産をはじめる女性にとって動物性たんぱく質がすくない、コメが主体の食生活もよくありませんでした。穀物に多いリンがカルシウムの摂取を抑え、骨が脆弱であったという説があります。
それ以上にきつかったのがイエだったでしょう。結婚して子どもを生み、育てることが第一の任務、「子なきはされ」であり、格式を守るためにはこわいシウト、コジュウトがひかえていました。結婚相手は親が決め、自らの意思がとおることはほとんどありませんでした。それまではいかに甘え育ててもらっていても、別世界に住むことになるのです。そう思うと、結婚式の白衣装は死の世界に入ることを象徴しているという意見にも聞くべきものがありそうです。貧困農村では家族を守るために女性が「売られた」という記録もたくさんあります。
女性はそんな責任を自覚していたはずです。それにもかかわらず、しっかり実行したのも女性でした(年をとるとヨメはシュウトになるのですから)。それを知っていたからこそ、自らを「美女」と同化し「素敵ででつよい男性に救われる」ことに夢を託し、癒されていたのだろうとおもいます。フィクションの世界で悲劇が好まれること、そして一抹のエロスの香りが漂う、ここに、一夜官女系の物語が語り継がれてきた理由があると思うのです。
(カンチョー)
コメント
はじめまして、おはようございます。枚方の人間でイラストを描いています。
昔の女性は、短い寿命が多いんですね。
戦国時代あたりは、男女問わず短い生涯が多いみたいですね。そのなかにも長生きした女性も数ほどのやや多いのもいますね。