万博・EXPO

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わたしと万博(24)…万博少年になれなかった僕の万博体験記

1970年の夏休み。両親共働きの平凡家庭に育った僕は、案の定、どこにも連れて行ってもらえず、クーラーもない居間でゴロゴロ・・・。小学校2年生。京都市内の北部にある小学校だったが、たしか3年生以上は遠足で万博見学に出かけたはずだった。 友だち...
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7月29日(日) ビックリショー:万博うらばなし

■ビックリショー:万博うら話!■ 7月29日(日) 14:00~ 吹田市立博物館 講座室 ゲスト:伊吹健氏 聞き手:明石尚武氏 お祭り広場の運営ディレクターとして活躍された伊吹氏をお迎えし、わいわいやります。万博ファン必見。本当にびっくりの...
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わたしと万博(23)…「万博を思い感傷にふける・・・」

1970年大阪万博! 当時、私は京都から大阪淀屋橋の会社まで毎日、2時間近くかかって通っていました。入社5年目、そろそろ中堅にかかろうか、仕事がわかってきて少しのゆとりが生れる時期。丁度そんな時、地味な機械関係のわが社に似合わない垢抜けた女...
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わたしと万博(22-3)…千里ニュータウンという展示物

大阪万博では千里ニュータウンそのものも展示物であったのではないか。 千里ニュータウンの真新しい「団地」群は当時の日本人に圧倒的なモノの迫力を示していたように思う。皮肉だがモノの迫力としては万博の展示物よりコンクリートの「団地」群の方が勝って...
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わたしと万博(22-2)…情報産業論と万博

万博は産業革命を経て、世界が工業の時代を迎えた頃に始まり、永らく重厚長大な人工物・モノの迫力を観客に見せつける場であった。日本のちょんまげ使節団もロンドンの水晶宮やパリのエッフェル塔に圧倒され殖産興業を心に誓ったに違いない。 それから100...
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わたしと万博(22-1)…新京阪電車P6の引退

万博の頃を境に阪急京都線から重厚且つ力感溢れる電車P6(*1)が引退した。私は子供のころP6に憧れ、新京阪電車(*2)の運転手になることを夢見ていた。それだけにP6の引退は残念であったが、今から振り返るとあの頃、世の中の表舞台から重厚なモノ...
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わたしと万博(21)…三方町~吹田市 リーダー交歓会

福井県が話題になっているのをみて思い出しました。 ’70年万博をきっかけに、福井県の三方町と我が吹田市の子供が隔年で それぞれの町を訪れ交歓会をするようになったそうです。 千里ニュータウンと同い年の私は、高校1年の夏休みにこの行事に参加しま...
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わたしと万博(20)…クリエーター・大高猛Ⅱ

万博開催の前年・1969年に制作されたポスターである。 デザイナー・亀倉雄策、フォトグラファー・早崎治、とりまとめのアートディレクターが、関西を代表するクリエーター・大高猛。先生の苦労は並大抵ではなかったことは容易にうなずける。開幕にふさわ...
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わたしと万博(19-2)…万国博めざした千日前通建設

大都市中心部の道路空間は非常に貴重な空間です。しかしその空間は道路法により非常に厳しく規制されており、その規制以外の構造物は作ることができません。深く掘削すれば費用もかかり、工事も難工事となります。 私は幸運にも都市計画道路泉尾今里線(千日...
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わたしと万博(19-1)…若き裏方技術者の挑戦

ビッグ・イベントには多くの社会基盤整備が行われます。特に東京オリンピックや大阪万国博覧会では特に多くの社会基盤整備が行われ、技術的にも大きな進歩をとげました。万国博当時わたしは大阪市に在職しており、この面から全く裏方として参加しました。一般...