トリノ五輪が始まっていますね。
人気のスポーツと時代と千里NT、というお題です。
●わが家は1964年10月18日、東京オリンピックの最中に千里に越してきましたが、その日は「東洋の魔女」の試合があって、見たいからとにかくテレビのアンテナ線早くつけて、と急がせたと父は言っております。(まだ決勝戦の日ではありません。)
このあたりから1969-71年に放映された「アタックNo.1」ぐらいまでバレーボールの人気が非常に高かった時代がありました。千里NTのとある団地では「ママさんバレー」が非常に強かった…という情報が入っています。当時は住民がみな若かった(30代)ですから、そういう要因もあったでしょうね…。
「根性」っていう言葉がはやって、いやな時代でした…。(私はひどいスポーツ音痴少年だったので…)
●1971年頃からは千里でもボウリングが大人にも子供にも大流行しました。(これも私は下手だった…)
上新田のボウリング場(今はない)と、1972年秋にオープンした千里中央のセルシーでは2フロアもあるボウリング場が目玉でしたが、流行現象のこわさ、わりとすぐにすたれてしまって、その跡地が1977年にダイエーになりました。(千里阪急と大丸ピーコックが駅を挟んで対称的に配置されているのにダイエーはセルシーに押し込んだようなフロア配置になっているのは、ボウリング場跡地を転用したからです。でも当時はレジの後、自分で袋に入れる方式を初めて採用したのが斬新でした。)
●今はガンバの地元ということで、サッカーが熱心なんでしょうか?北千里駅前のスクリーンでは盛り上がっている時があるようですね。
(by okkun)
コメント
>北千里駅前のスクリーンでは盛り上がっている時が・・・。
地元商店街「ディオス北千里」は当初から地域の活性化のためにガンバの応援をしていました。
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000512050003
さらに最近は地元NPOと学校、地域を結ぶ役割もしています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/junior/news/20060116ddf041040007000c.html
そして2月10日の毎日新聞には・・「北千里」が特集されています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/osaka/archive/news/2006/02/10/20060210ddlk27070366000c.html