講演 大久保昌一氏(大阪大学名誉教授) 5月21日(日)
「千里ニュータウンの過去・現在・未来」
ベッドタウン型からの出発とセルフオーガナイジング型への変身
大久保先生は大学卒業後日本住宅公団へ入社、部下のいない一番下位の技師補でありながら、当時東洋一と言われた香里団地の企画の中枢で活躍、そのノウハウをもって千里ニュータウン計画に参加されています。豊富な経験と欧米諸国のニュータウン状況も交え、ニュータウン前史から現在・未来について熱く語られました。
「セルフオーガナイジング」の説明から始まりました。生物・生きものは自分で組織をつくり成長する。千里ニュータウンも生きもののように自立的に組織をつくり成長できるよう市民への期待が終始込められていました。
千里ニュータウンの過去・現在・未来に関しては、先生が力説された点について紹介します。
(1)1956年にスタートした2住区22000人の香里団地で、まちづくりのノウハウを得て、日本住宅公団が20住区20万人規模の団地計画を先行して計画していた。
(千里ニュータウンの最終規模は12住区15万人)
府と公団が協議し、府主導での事業推進となった。囲み型住宅については公団側担当者であった大久保先生は日本の気候風土に合わないとして断固反対した。府営の団地にあって、公団の団地には囲み型住宅がないのは先生の考えによるとのこと。
(2)千里ニュータウンはニュータウンの歴史に残すべき偉業である。是非、記念碑的なものを残すべき。
(3)府知事室、土木部、建築部、農林部の協力体制でスタートした千里ニュータウンの開発事業は、官僚的なお役所仕事と全く異なり、未来志向の企業家精神に満ち、使命感に溢れ、新分野・新モデルへの挑戦、法律に先行して事業をおこなうなど、賞賛に値する開発精神があった。このことを歴史にとどめるべき。
(4)その他の成功要因として、時代ニーズの先取り(膨大な住宅需要圧力)、万博開催による基幹的インフラ拡充、周辺への大阪大学など教育・文化・医療機関などの立地があったことである。
(5)反省点としては、地勢、風景、生態系解析など「風景の中のまちづくり」の視点がなかった。
(6)千里の未来は持続可能なまちーーリバブル・タウン(住みたいまち)、アトラクティヴ・タウン(魅力的なまち)、インクルーシヴ・タウン(外国人も住めるまち)、住民参加タウン、コスモロジー・タウン(千里らしさ・人間的な・個性的なまち)、コンパクト・タウンーーを目指してほしい。
(7)まちづくりの計画過程では、より科学的に、より人間的に(他者との、自然との、歴史との共生)、より民主的に。
(by ようちゃん・ゆたか・おーちゃん)
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