漢字と変体仮名

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日本人は仮名を漢字からつくりました。ここで漢字の歴史をまとめてみましょう。
ただしこれは、子どもの頃姉が見ていた古い本をみての、付け焼き刃の概論ですので、最前線の情報を知りたい方は11月12日14:00~吹田博で行われる、現役の専門家、京大の阿辻哲次先生の講演(スイハクHP)に是非いらしててください。ためになるしおもしろいでっせ。

漢字の起源:
漢字は甲骨文字、約5000年前とされ、メソポタミア、エジプトより遅れて発生した(中国のことだから、そのうち世界で一番古い文字を発見するに違いない)、象形文字です。それが約3000年前の殷の時代には篆書となり、周代(2500年前)になるとだいぶ形を整えてきます。そして、中国が統一された秦の始皇帝の時代(約2200年前)には小篆となります(これは今でも印などに使われています)。文字が、まつりからわかれて、国家統合の道具として必須のものになったことがわかります。

前漢(約2000年前)になると隷書があらわれ、後漢にはハネの加わった八分体(あまり聞き覚えがなかった)によって早書きが可能になったと言います。
私たちに馴染み深い楷書、行書、草書ができたのは一五〇〇年ほど前の晋・唐代でした。その後、現代中国の略体字が一般化するまで、変わらなかったのです(このあたりを、阿辻さんに聞いてみたいですね)。そうすると、私たちは楊貴妃と文通できるかもしれない。あるいは、(梅棹さんじゃないけれど)、なんたる停滞、そんなものすてろといいたくなるきちもわかります。

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日本の文字:
仮名はどんな歴史を持っているのでしょう。
3世紀まで、魏志にかかれた卑弥呼(ヒミコ)のように、中国人は日本の音を漢字であらわしました。日本でも稲荷山古墳(471年説が有力)から出土した鉄剣の銘に漢字でワカタケルとかいてあり、万葉仮名の雰囲気を感じます。漢字で日本語を書いたので日本人の姓名表記や地名には音読み、訓読みがでてきて、それが他にも波及して、今日の混乱を招いているのです。

飛鳥・奈良時代からは公文書が漢文で書かれています。ところが漢字は画数が多く、とくに書くのに手間がかかる。また、文法の異なる日本人には読むのが大変でした。そこで、カンニング、返り点や一,二、上中下の記号を使い語順を示し、さらに下に小さく助詞をいれて日本語読みができるようにする。字と字のあいだの隙間が小さいので、字を簡略化するために、漢字の一部を使った、これがカタカナの始まりです。

もう一つ、文章ははやく書く必要がある、そこで(万葉仮名を使うとき)行書や草書をつかうのですが、これは男手とよばれました。それをさらに崩したのが女手です。紫式部や清少納言に代表される女性たちが、万葉仮名の伝統の上で、行書とそれをさらに崩した仮名を使って日本語の歌や文を書き表したのです。すると男も、女性との交流の必要からつかう(何しろ恋文がかけないと、モテないよー)。これが平安中期、それ以来、800年ちかく仮名が使われてきました。

ところが一音に対し、たくさんの字があるので、一音一字にしたのが明治33(1900)年のことでした。決められた字以外は変体仮名と呼ばれるようになったのです。そのため時間とともに姿を消していくのですが、意外としぶとく残っているという一面もあるのです。

その一端を探るために、変体仮名の看板を探して歩いたのですが、ほかにも、おもしろいことに気がつきました。それは、表札です。わたしは、奈良の高級住宅地の近くに住んでいるので、散歩の時、なんとなく表札が目に入ります。たいていの家は楷書や行書ですが、敷地の大きい和風の家には、草書(変体仮名のもと)の表札があらわれ、西洋式の邸宅にはローマ字が多い。そして、新しい、小さな家はローマ字か明朝体。アパートでは、我が家はプラスチック板にゴシック体の漢字、となりはロ-マ字、といったぐあいです。だから、変体仮名は伝統をイメージさせ、一種の高級感をもっていることがわかります。うちも、変体仮名にしようかなー。しかし、そうすると(わたしもふくめて誰も)読めなくなるなーと悩んでいます。

(カンチョー)

 

コメント

  1. こぼらは見ていた より:

    カンチョーが、長~いミミズを書いている。これって変体仮名のつもり?「紫式部と文通する」んだそうで、特訓中なんだとか。・・・どうみても、ミミズがいっぱいつながっているようにしか見えないけど・・・しっかり者の式部ちゃんに振られないように、がんばってねー(^o^)/~

  2. kancho より:

    こぼらさん:それは誤解です。わたしがレターを書こうと思っていたのは、かげろう日記を書いた方なのです..naknisi先生に相談したら、あんな陰惨な女は、yaめたほうがいいとかんこくされました。

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