2月1日、地球研で内山純蔵さんの景観研究会に参加しました(2006/7/21ブログ)。
スウェーデンの生態的景観計画についての発表からはじまったのですが、「自然さ」とはなにか、が論点でした。市民の自然環境にたいするイメージと政府のプロパガンダはどう違うのか、外国人研究者もたくさんいて、討議はたいへん盛り上がりました。スウェーデンは森の国だが、自然の森はないんじゃないか、森は自然のままでは利用できない、利用を始めると外来種がどんどん入り込んでくる。「自然さ」をどう定義するのか。
吹田市民の環境に対する活動をひきながらコメントしました。
千里ニュータウンは、当時の里山を大きく切り取って敷地を確保した。そこに公園や街路樹という新しい外来植物の多い、あつかいやすい「森」をつくり上げた。ところが、わずかに残っていた周辺部とその外側にあった伝統的環境が、都市化の進行によって、いまや消されつつある。市民がめざしているのは、里山を含む水田システム、つまり「ウサギ追いしかの山」的環境を守ることではないだろうか、というものでした。
エストニアから来たカティさん(2006/9/6ブログ)が、固有種というなら、イネがだめでーす、イチョウだめ、クス危ない、もちろん竹(モウソウチク)も。
すると吹田にゃ、何が残ります?
そう言われてみると、私たちは新顔の在来種につめたいのではないか。セイヨウタンポポ、セイタカアワダチソウ、ブタクサ、ニセアカシア、メタセコイア(100万年前にはあったけど)・・。
そんなコクスイシュギというか郷土愛というか、オリンピックや甲子園にみられる気持ちを、わたしも感じたことがあります。アメリカで、クズがはびこって頭を痛めているときいて、高揚し、ニッポンがんばれーと叫びだしそうになった。
すると景観問題とは自然そのものではなく、こころの問題ということになりますね。
(by カンチョー)
■館長ノートの余白■
最近、森についての一文をかきあげました。いま、写真、表などの整備に大わらわなのですが、三月末ころには印刷されるので皆様にご覧いただけると思います。自然の森は人が干渉しないと、とても利用できないという主旨のもので、最後に、千里ニュータウンの森をとりあげました。
写真は津雲台にて撮影。下は、あやめ橋付近のメタセコイア (こぼら)
コメント
この どちらの写真も 幼い頃から見慣れた風景 ぼくがランドセルをしょって通った道です この津雲公園の遊具も 随分変わりました 木々も大きく育ちました でも ここの山?丘?の木々は在来種のはず(^^ゞ 僕らの秘密基地も 息子達の秘密基地も ここにありです あやめ橋の下 ループのあたりの木々も 昔から想い出のあふ風景 ここいらは ちょっとうるさいさんの 得意とされるあたりですね(^_-)