高松塚の解体と保存 - 現代テクノロジーの冒険

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高松塚古墳の解体保存のための作業が進められています。1972年に、(日本で最もはやい)極彩色の人物像や星宿を描いた壁画が発見されて大きな話題を呼びました。その頃、私はカリフォルニアにいたのですが、それでもその興奮が伝わってきたのを覚えています。

高松塚の発見は考古学のあり方を大きく変えました。それまでは、考古学者は貴重な宝物(埋蔵文化財)を守り、研究を続けるものだという考えがつよく、発見や成果の発表も時期を見て(多くは整理と研究が終わってから)特定の新聞社と手を結んで、行っていました。ところが、このときは反応が大きく、マスコミ間に競合が起こって取材合戦になり、たくさんの市民が見学におしかけて大騒ぎになりました。遺跡は学者だけのもではないぞ!というわけで、ここから、考古学は市民のものとなったのです。

画像そんな動きは他の遺跡にも及び、遺跡発掘の後はかならず現地説明会がおこなわれ、大勢の人が見学にくるようになりました。マスコミをとおして全国区になったもののなかには、遺跡を整備して展示場やレストランをつくり、その地方の「観光資源」として大役を果たしているものもあります。吉野ヶ里や三内丸山などがそうです。

高松塚でも、本物は埋め戻し、レプリカの石室を脇につくって、壁画を見られるようにしていました。石室に人がたくさん入ると、破損が起こるだけでなく、空気が汚れ、カビやばい菌が発生して劣化するからと、そうしたのです。ヨーロッパのアルタミラやラスコーの洞窟でも一般観覧者の立ち入りを禁じています。

ところが、30年以上たってみると、密閉して温度や湿度をコントロールすることで万全に保護していたはずの壁画に、カビが生え、細菌がはびこり、変色するなど、予想以上に激しい劣化が進んでいました。そこで、仕方なく、石室を解体し、「壁画だけ」を守ることにしたのです。しかし、これについては、大きな議論がわき上がっています。古墳は古墳であってこそ意味がある、そのままで保存できると言ったじゃないか、いったい何をしてるのか。劣化していくのを知りながら隠していた役人仕事を別にすれば、気持ちはじゅうぶん分かるけど、いまさら仕方がないというほかはない。ものはすべて消える運命にある。悪いと言えば、発見したことがわるい、見つけなければ、そのまま朽ち果てたり、開発で壊されていたかもしれないのですから。

法隆寺はそのままではなく、時代、時代に補修が加えられてきたから残っているのです。ダヴィンチやジョットの絵画もそうです。現代の知恵と技術の精髄が、あの壁画をどう保全するのかがむしろ楽しみです。ダイヤモンドワイヤーソーという聞き慣れぬ道具で漆喰を薄くはぎ取っているそうです。色あせた絵を、デジタル加工によって、当初の色や形に復元する試みなども大変エキサイティングなものではないですか。そんなものこそ、博物館で見る価値があると考えています。

(カンチョー)

写真上:飛鳥資料館HPより
http://www.asukanet.gr.jp/index.html

ちなみに奈良文化財研究所飛鳥資料館公式HPはこちら
http://www.nabunken.go.jp/asuka/index.html
ちょっと凝りすぎのような・・・
ところで奈文研のデータベースは遊べます。
http://www.nabunken.go.jp/database/index.html
写真下:「小山」を検索したら出てきた木簡画像
(こぼら)

 

コメント

  1. もぐら より:

    高松塚古墳発見の翌年に発見されたわたしの街の装飾壁画古墳、虎塚古墳、今年もきのう(4月15日)まで公開されてました。次は秋に公開です。よかったら…ひたちなかまでいらしてくださいね。(ひたちなか市埋蔵文化財調査センターの虎塚のレプリカのわきには高松塚のレプリカもあります)。ところで解体された高松塚の墳丘はどうなっちゃうの?

  2. てつ より:

    う~ん URLをたたいてみたものの ログインID と パスワードの欄が出て 何処に senri を入れるんでしたっけ?^_^; でも きょうちゃんさんは ほんま 映像関係では なくてはならない人ですね(^_-)-☆ あ・・・ もぐらさん ごぶさたぁ ふと 「千里ニュータウンが博物館にやってきた」ブログを読み直していて お便り 発見~~~ また 来てくださいね(^_^)v

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