8月19日13:00~、
特別展「保存と復元の科学」のイベント第二弾、「考古学とコンピュータ」が開催されました。
まず、総合研究大学院大学の及川昭文先生が、考古学データベースについて講義。
0、1でわりきれない考古学データを、どうコンピュータにのせるのか。そして、それをつかってどういうことがわかるのかを、凝ったパワーポイントにのせて説明。
縄文時代の貝塚のデータを分析していくと、出土した貝の種類から気候変動や交易のあとがうかがわれること、また、九州の遺跡分布データのシミュレーションから、ヤマタイ国の場所を推定する過程などを紹介。
遺跡は高速道路沿いに多数発見されているのは、「当時、高速道路があって生活に便利だったから」というわけではありません。
次に登場されたのは大阪電気通信大学の小沢一雅先生。ご専攻は情報工学。今も大学では数学の講義を担当されているが、30年ほど前に考古学に足を踏み入れられ、その魅力にとりつかれて今日に至る。
「前方後円墳はなぜ、うしろが丸なんですか?」という質問はしないでください(笑)。
仁徳天皇陵は長さ900mもあり、航空写真で見ると見事に左右対称になっている。5世紀はじめにこのような巨大な土木工事ができたことは驚異です。
※Wikipediaによると
江戸時代後期の儒学者の蒲生君平(がもう くんぺい1768~1813)がその著書『山陵志(1801年)』の中で古墳の形状を「前方後円」と表記し、そこから前方後円墳の語ができた。
前方後円墳は、古墳時代の前期、中期、後期によって、徐々に前方後円墳の形がかわってきた。時代が下るにつれ、「前方」部分が「後円」に比べて大きくなる。小沢先生は、それを数値化し、データベースに。
するとこれによって、たとえば高槻市にある宮内庁が継体天皇陵としている古墳は、その形状をみると実際の継体天皇の年代(6世紀)のものより古い形をしていることがわかる。その東にある今城塚古墳の方が6世紀型をしており、継体天皇の年代にちかい。すると、実はこちらが本当の継体天皇陵ではないか、というような推定ができる。
今回も、休憩をはさんで15:05頃から約30分ほど、カンチョー乱入トーク。
着実にデーターベースを構築してこられた及川先生は九州のご出身。ヤマタイ国シミュレーションの仮説が九州説だったのは、そのせいらしい(!)小沢先生も、前方後円墳からヤマタイ国の場所を推定できるのではないかと考えておられ、やはり九州説支持だとか。
うーん、でもカンチョーは納得しないようす。すいはくの文化財担当者にマイクを向けたところ、発言がなかなか出ない。ぶっ飛びすぎていて、真夏の昼の(悪)夢にうつったのでしょうか・・・
なにはともあれ、猛暑の中、多数のご参加ありがとうございました。
(by おーぼら + こぼら)
コメント
トンネルアート2を中座し、講演に行きました。 たしか、末永先生の「航空写真<朝日新聞社刊?>」は、持っている。 小澤先生の8万円では、ありません。 三先生の講義録なんて、想像しながら青春の一頁に帰ることができ、元気もり、もり です。 やること一杯で、撮影の記録は、明日になりそう。
このブログ、音はアップできないんでしたっけ?
なかなかもりあがってたみたいですね!
友達にさそわれて、はじめて講演会に行きました。及川先生のパワポの迫力にびっくりしました。ファンファーレの音楽までついていた。私も発表したいことがあるのですが、あんなのができればいいのにとおもいます。「実践講座パワポの作り方」やっていただけませんでしょうか。