わたしと万博(25-2)…お祭り広場うらばなし2.

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お祭り広場の運営ディレクター、伊吹健さんのお話は続きます!

●難民行列?に見えたリハーサル
開会式が迫る3月。どうも天気がアヤシイ…。開会式リハーサルの13日は激寒!各国の旗を点検して掲揚したはずなのに一つの国の国旗が上下逆になっていた。自衛隊の演奏による「万国博がやってきた」のマーチで入場行進が始まると、バタバタと女の子が倒れはじめた。当時はミニスカートで薄着だったので、寒さに慣れていないアフリカやインドネシアの女の子が倒れたのだった。そこでみんな難民の行列のように毛布をかぶって入場行進をした。新聞社のカメラマンは「絵にならない」と怒ったがしかたがなかった。当時は自販機がなかったので倒れた人に温かい飲み物をすぐに提供することができなかった。

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●天皇陛下に誰がキューを出す?
開会式には天皇陛下(昭和天皇)もご臨席される。警視庁、宮内庁、自衛隊も来る。自衛隊は祝砲を打つ仕事。しかし彼らは隊長の指示しか受けないので、私が隊長にキューを出し、隊長が指示を出し…。陛下がロイヤルボックスに現れるタイミングも誰かが指示しなくてはならない。しかし私ではやはりまずいと言う。侍従長が「私がやります」とのこと。私は侍従長にキューを出し、侍従長が天皇陛下に合図をし…私の台本はリレーする秒数を引いた「早めのキュー」を書き込んで真っ赤になった。

侍従長に「天皇のお言葉はどんな内容ですか」と尋ねると「民間人のあなたは知る必要がないだろう」と言われる。「次のファンファーレのために最後のお言葉だけでも知らせてほしい」と頼んだ。最後の言葉がわかれば、その言葉を合図に私は司会者を立たせ、次のプログラムに入るキューが出せるのだ。結局、新聞記者への発表と同じく当日朝、印刷されたものが配られた。

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雨や雪だったらどうする。陛下は雨ざらし?「ロイヤルボックスにテントを張る」という案には岡本太郎氏が「太陽の塔が見えなくなる」と反対した。結局、太陽の塔と大屋根との間に直径10mのヘリウム入りの風船を入れて雨を防ぐことにした。巨大風船は大手テント会社に発注した。

●動かなかったロボット
お祭り広場には磯崎新氏設計の大きなロボット2体があり、これが蓄電池で自由に動き回るはずだったが…設計と実際が違って重過ぎて動かない!「動く!光る!」と宣伝してしまっているため、仕方なしに蓄電池をあきらめて電源はコードから…しかしコードの長さは10mしかないのだった…。このロボットからはバラの香りを噴霧する試みもあったが、匂いがドバッと出てしまい、近くにいた小学生が気分が悪くなる一幕もあった。

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●タダほど高いものはない
出演者の送迎、昼食、記念品手配も現場ディレクターの大切な仕事。子どもの合唱団や大阪府警、朝比奈さんの大阪フィル、マスゲーム…たくさんの演出があった。出演者は無料だが送迎と弁当やお土産=記念品には金がかかる。出演者の着替え場所はどこにする。衣装のクリーニング代も必要。人は見返りがないと気持ちよく動いてくれない。結局「タダほど高いものはない」のだった。

●開会式は雪だった
開会式の前夜、よみうりテレビのキューシートを応用して横が60分の時間軸、縦に音響、照明などが書かれた列車のダイヤグラムのようなタイムテーブルを見ていると、緊張のあまり吐き気がして、何度も吐いた。最後には出るものもなくなったが吐いた。開会式の14日はなんと雪だった!万博外周道路は渋滞していた。開幕式は9時に始まり10時に終わった。終わったとたんに気分爽快!そこで食べたきつねうどんのうまかったこと!!

●ひな壇を作ったはいいが…
開会式には国内だけでなく、世界中から大挙して記者がやってくる。この記者席用の巨大ひな壇も外注した。ところが開会式の夜、このひな壇がまだお祭り広場に残っている…。ひな壇を作った会社に引き取るよう申し入れたら「作るだけの契約だった」と言われたので、スタッフで押して別の場所に置いた。子どもが上ったりしないように10人のガードマンを雇うことになった。

※写真は偶然1970/3/13のリハーサルの日に伊吹さんと同じ空間にいたokkunの父親が撮影。暗くてサムソーな雰囲気がよくわかります。

(つづく…Report by こぼら、おーぼら、okkun)

 

コメント

  1. もぐら より:

    ドロナワいっぱいなんだなあ…。なるほど。

  2. こぼら より:

    わぉー。確認するのを忘れたのですが、549ヒットを記録した7月15日は、ランクインしていたのでしょうか。どなたか見ていらっしゃいませんか?

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