7月29日(日)、「万博びっくりショー」と題して、お祭り広場の運営ディレクターをつとめられた伊吹健(いぶき・たけし)さんに万博のさまざまなエピソードをお話しいただきました。伊吹さんは中国生まれ。日本に引揚後「吹田事件」にも立ち会われ、演劇の世界から草創期の民間放送にたずさわり、大阪万博のメンバーに…まさにその人生は「戦後史」そのもの!人間ハード・ディスクというべきか、メモも持たずに日時も場所も人の名前もすらすら…、次々と話がすすんでいきます。
●丹下vs西山
「お祭り広場」のコンセプトを作った二大巨頭は、東大の丹下健三氏と京大の西山夘三氏。ところがこの2人は「広場」に対する設計思想が違った。モダニズムの旗手で「劇場的な空間」を考える丹下氏vs「プラザ=広場」として、人が自由に行きかう「なんでもありの場所」を考える西山氏。やがてプロジェクトは丹下氏主導に…。
●寄せ集めのジョイントベンチャー
国家的イベントとして各界から集められたメンバーは、銀行から商社からマスコミから…一週間前にはまったく違う仕事をしていた人間の寄せ集めだった。仲良くできるはずがない。「○○の業者にはこんなことできないだろう」という類の陰口が横行していた。開会式は進行シナリオを作らねばと私が説明すると、「シナリオって台本のことですか?」と問う銀行出身者…。
苦労したのは会議だった。当時はワープロもコピー機もなかった。すべて手書きで会議資料は青焼き。青焼きはあせって作ると翌日には文字が見えなくなる。 しかも出来上がり直後は濡れているので乾かさないと互いにくっついてしまう。50部も印刷したら広い部屋いっぱいに広げて乾かさないといけなかった。そこで台本などは、内容が決定してからようやくガリ版を切っていた。(伊吹さんが掲げておられるのは、お祭り広場の催し「日本のまつり」の台本)
やがて協会内部のあちこちで喧嘩が始まった。理由は「言った・言わない」だった。「明日の会議は中止だ」を電話で伝えても、相手がいないと「あとでかけなおしてください」となり…忘れてしまって「言った・言わない」になる。
開会式は全世界140数ヵ国に放送される。君が代演奏から宝塚歌劇の生徒さんの歌まで盛りだくさんだったが、演出家に予算感覚がないのには困った。スミレの花を会場で5千個無料で配るという。スミレはひと束500円するのだ。月給2万5千円の私は500円×5000個のスミレの花の発注にはビビった。
●開会式に向けて
イベントが始まるとお祭り広場にいるスタッフには私から「司会者スタンバイ」とか「○○さんを立たせてください」とか指示を出す。当初は無線で指示を試みたが、万博協会に割り当てられた周波数がよくなくて、レシーバーからは万博外周を通行するタクシー無線が混信してくるのだった。そこで有線にしたのだがスタッフは動く範囲が限られてしまった。
スピーカーは10m間隔でお祭り広場の床下に設置した。柱ごとにピンスポットを設置したが劇場とはちがってお祭り広場ではスポットで追いかける範囲が広い。しかも大きくて発熱もすごい。手で操作はできないので長い金具を取り付け操作したが、まるで船頭さんのようだった。
(つづく…Report by こぼら、おーぼら、okkun)
コメント
お祭りひろばにやってきたゾウが しばらく生活したのが 山田の「小僧寿しの研修センター」のあったあたりだとは^_^; うちから徒歩15分ぐらいやん 見に行けばよかったなぁ~ いやぁ ほんに 楽しい裏話でやんしたぁ(^^ゞ
「青焼き」って言葉、最近の若い人はわからないだろうなあ…。と思いながらまとめました。僕も自分で取ったことはないですが…(なのでどういうふうに「濡れていた」のかは想像するばかり…)。