市民フォーラム「太陽の塔と明日の神話」(11/10)

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今回の展示には「万博を作った頭脳集団」というセクションがあります。その中の一人、小松左京さんと、「世界の仮面と神像」を集めに行った当時の若手の1人、石毛直道さんが特別ゲストとしてやってきました。

(小松) 万博の計画が軌道に乗り始めたとき、「これだけの空間をまとめ、作り上げることの出来るのは岡本太郎だ」といったら、梅棹さんが「おー」と賛成した。あの、丹下健三さんの考えた大屋根を突き破ったあのパワー。「石原慎太郎の太陽の季節みたいだ」といったら、何にも知らない岡本さんは「それはいい」と言って「太陽の塔」という名前が決まった。
万博後、塔の撤去も論議されたが、市民の声によって、保存されたのは喜ばしいことだ。今、吹田市は「明日の神話」を招致しようとしていると聞いたが、いいことだ。さすがに目が高いなー。

(石毛)塔の内部は生命の進化という、壮大な時間を表現しようとしたもの。いくつかの層に分けられているが、その最下層はどろどろとした人類の世界観を表現したいということで、世界民族の仮面と神像で飾ることにした。当時、若手の民族学者たちがあつめられ、収集したものをならべたので、すごい展示になった。それが核になって今日のミンパクがうまれた。

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トークは小松さんが「吹田に市歌はあるのか?」「当時の日本には、すいたと読める人いなかった。読んでもふいただった。せいぜい「♪すいた、すいたの浜町河岸に・・・♪」にしか「すいた」は出てこなかったと(むかしの流行歌:明治一代女)ではじまり、はなしは、ライト兄弟、相対性理論、ゲルニカ、原爆、民族学、SF,時に万博、と時空を越えて飛びまわり、アインシュタインの相対性理論をとうとうと語りだされたときには、会場はシーン。もう、誰もついていけなーい。あげくの果てに「縄文人は美人が多かった。ジョーモン(上者ン)って言いまっしゃろ」のダジャレも出て、コーディネーター(のカンチョー)はまとめられずに泣き伏してしまいました。

しかし、そこはミンパクの石毛前館長、「太陽の塔にあった仮面や神像は、一部はここにも来てますが、ほとんどはミンパクに飾ってあります、是非ごらんになってください」と宣伝を兼ねた見事なオチを付けてくれました。

全容そのままの記録はとてもできないので、要約をご紹介した次第です。

写真のカンチョー前にある物は当時20万円?もした四則算(+-×÷)しかできない12桁の計算機。この計算機で小松さんは日本沈没のなかで(日本列島の重さを計算するなど)の計算をしたそうです。

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会場には過去の市民フォーラムで最年少の少年が参加していました。彼は「現代の万博少年」と呼びたくなるくらいバンパクに興味をもっており、先日リメイクで公開された「日本沈没」を見て小松左京さんのファンになったそうです。
大人顔負けの質問もして、石毛先生が必死に回答なさっていました。
フォーラムが終わって左京さんと握手できて大感激。さらにサインと名刺をもらえました。

(こぼら おーぼら)

コメント

  1. ブログまとめ秘話 より:

    okkunさま これは泣き伏したカンチョーが、今日一日家でごろごろ?しながら、まとめた・・はず(カンチョー、ちゃんと講演の準備もしてくださいまし!)。表に出ないで、うしろで糸引きたがるのは、万博をつくった頭脳集団の血をひいているからでしょうか。

  2. おーぼら より:

    ここに出てる8枚の写真は当日撮影した114枚の写真から選ばれたものです。 あ~、もっと明るいレンズのカメラがほしいよ~

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