万博大屋根ものがたり

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1970年万博の主要な施設に太陽の塔と大屋根があります。
太陽の塔は岡本太郎さんの作品であることはあまりにも有名ですが、大屋根は?

大屋根のデザインは丹下健三さんです。そのデザインにもとづいて構造を坪井善勝さんが担当し、構造計算から施工監理、さらに解体の指揮管理をされたのが中東達男先生(元大阪芸術大学建築学科教授)です。
今回は、中東達男先生のお話を聞きました。

太陽の塔のふもとは中央広場で「現在・調和の世界」。そこから「地下テーマ館」に向かう。地下テーマ館から太陽の塔の内部を上っていって太陽の塔の右腕から「空中テーマ館」につながる。そして地上「現在・調和の世界」に降りてくるという設定になっていた。
「地下テーマ館」は「過去・根源の世界」。太陽の塔の内部は生命の樹を中心にして「生命の根源」を表現した。塔の内部はエスカレーターで上っていく。太陽の塔の右腕から外に出ると「空中テーマ館」で「未来・進歩の世界」。「空中テーマ館」には未来都市の住宅を表す二つの住宅カプセルがぶら下がっていた。「空中テーマ館」の回廊からは地上の「現在・調和の世界」が見られるようになっている。
太陽の塔の北側はお祭り広場。世界の人たちが集まって赤裸々な感情を表現するお祭りの場、未来都市の広場を作ることが万博開催の願望だった。(お祭り広場の目的、願いについては川崎清先生がお話なさるでしょう。)

中央広場とお祭り広場を一つの屋根で覆う目的で大屋根が考えられた。大屋根は南北291m、東西108m、高さ30m。重さ約5千トン強。これを6本の柱で支えた。

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大屋根の役割
1.中央広場とお祭り広場を覆う屋根、2.空中テーマ館を設ける、3.お祭り広場の照明装置などの設備を設置するなどの役割があった。そして太陽の塔を含めた二つの広場の要素を結んで全体を総合的に組織づけるものであった。つまり「万博の主役の一つ」だったと言える。

大屋根の構造
マッチ棒と豆とでつくる構造と同じで、力の分散を考えた立体トラス(スペースフレーム:立体構造)という構造である。
屋根そのものは半透明のフィルムを二重構造として中に圧縮空気をいれた、空気膜構造というもの。(空気座布団と考えてください。)
トラスの一個は10.8m×10.8mのもので、それを南北に37個、東西に10個並べたもの。トラスの水平部材(水平の棒)は直径50cm、斜めの部材(斜めの棒)は直径35cm。これらの水平と斜めの材(斜材)が一点に集中する場所に球形のジョイントを設けた。直径80cmのこれをボールジョイント(ball joint)と呼ぶ。
屋根のボールジョイントは直径80cmだが垂直の柱に使うボールジョイントはもう少し大きなものを使った。この球から球までの長さが10.8m。斜材も10.8mとしたので屋根の底面と上面との距離は(√2÷2)×10.8m(=7.637m)となる。
床につく柱の下部の直径1.8mと極めて細くスマートな形にした。

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鉄骨の設計
1950年代の後半に作られた鉄橋のジョイントは多数の鋲で止められていた。(それに比べて大屋根のカッコいいこと!!)
大屋根は1.個々のスパン(長さ)が10.8mと大きい、2.柱が6本しかない、3.空中テーマ館という重たいものが乗る、などの理由で(大屋根には)非常に大きな力がかかる。
大屋根の各ジョイントには常に8本の材が集まる構造なので1000トン単位で力がかかってくる。ボールジョイントには、この力を分配する作用がある。
ボールの中は中空。ボールと水平・斜材とを結ぶボルトは小さいもので直径9cm(90mm)、太いのは188mm。ボルトの頭は球の内部にある。
ボールジョイントを球体にしたのはボルトとボールジョイントとの接触面積が保てるため。(ここを理解することは、理科系の人でもしんどい)
ボールジョイント、ボルト、水平材、斜材などは一つひとつ超音波検査など厳密な検査をして作り上げた。

屋根の持ち上げ
地上で組み上げてからリフトアップするのだが、5千トン強を6つのジャッキで上げる作業はたいへんなもの。
ジャッキで第一段階まで屋根を上げる。上がった下の柱を組む。の繰り返しで31.1mまでアップした。最後に「頬杖」という構造を入れる。これを入れると柱と屋根とは一体化する。一方柱の足元は細い。足元は柔で、頭=屋根と柱は剛(ごう)の構造物が仕上がった。
ジャッキはアメリカが石油開発のために開発したもので能力は一台450トン。2台を直列にして900トンの能力とした。これを6台(5千400トン)用いて5千トン強の大屋根を上げていくのだ。
1969年6月23日からリフトアップが始まった。1m上げては計測しなおし、全体の変形(たわみ)が想定範囲内であれば順次(リフトアップを)進めていった。
屋根の上に空気座布団を設けて屋根は完成した。

屋根の構造
この大屋根構造(の考え方)はフランス国立ポンピドーセンター、関空の大屋根、スイス・クールのバスターミナルの屋根など世界中で使われている。

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解体
太陽の塔周辺が草ぼうぼうになっていた7年後(1976年)に大屋根を解体することになった。

トラス構造以外は全部上から落とした。空中の住宅カプセルは若かりし黒川記章さんの力作で、今日のプレハブ住宅の先駆けだった。この空中カプセルも上から落とされた。
大屋根を下ろすときのジャッキは(6~7年の技術の進歩で、上げるときに比べて)大幅に小さくなっていた。
設計段階では「大屋根の解体は200年後かもしれないし、万博終了翌日なのかもしれない」という命題を受けて設計されていた。屋根を下ろすにはアップするときの逆の工程で行われた。
まず、頬杖の撤去。頬杖の切断方法も大いに論議され、力の配分を考え、らせん状に切ることで解決した。(などなど、解体の各手順で難しい問題はたくさんあった)

解体(ジャッキダウン)は79年3月1日から二週間あまり、3月16日までかけておこなわれた。部材は溶かされ鉄として再生されていった。
大屋根の一部(=北西の柱とともに9マスの屋根)は元の位置で残されている。ボールジョイントは二個もらっって、吹田市内の元の事務所と自宅庭に保管している。
このように640個のボールのうち2個だげ(吹田市内で)現存している。

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Q:解体の理由は?
鉄骨は何年かごとに塗装の必要がある。空気座布団も初めて作られたもので、10年は持つだろうが、正確な耐用年数が不明だった。
空気座布団を除去して鉄骨だけ残す案もあった。しかし、足場を組んで塗装する維持費は尋常ではなかろう。当時の万博記念協会は(万博後6年で会場は草ぼうぼうになるくらいで)施設維持でたいへんだった。

(塔は残り、屋根が消えたことで)「岡本太郎など芸術家は妥協しない。建築家は簡単に妥協する」と言われた。
協会から「解体します」と言われて(建築家は)「はい」と言ってしまった。ここが大きな分かれ道だったという(真偽は不明の)ウラバナシがある。
タロー氏にも解体の話は行ったらしいが、彼は「絶対に許さない」と言ったとか・・・

Q:地盤は?
千里丘陵は良好な地盤だ。南の柱と(現存する)北の柱の地盤がやや弱く補強(の杭打ち)がされた。

Q:ボールジョイントの重さは 
直径80cm、厚さ8cm。1トン。穴部分には強い力(1000~2000トンの力)がかかるので厚さは2倍程度になっている。
頬杖部分のボールは直径1m。厚みは10cm、重さ2.8トン

(おーぼら おかむら)

コメント

  1. okkun より:

    11/2はドブログ16位まで行きましたよ。ダブルカウント込みだけど。ラッキーも実力の一部なのだ。

  2. てつ より:

    イベント予告には お名前が出ていますが
    この ブログには 中東先生のお名前が見あたりませんが^_^;

  3. おーぼら より:

    てつさま、貴重なご意見ありがとうございました。ホント、まことに失礼していました。マスコミのカメラの前で深々と数秒間、頭を下げる練習をしています。(ペコ~~)

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