世界の万博跡地を訪ねて : ニューヨーク万博について(1)

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ニューヨークではこれまでに1853/54年、1939/40年、1964/65年の計3回、万博が開催されています。3回目は博覧会国際事務局(BIE)の公認を受けてはいませんが、人々の中では「万博」として認知されているようです。その跡地を訪ねてきました。

1853年ニューヨーク万博
1851年にロンドンで開催された記念すべき第1回万博につづき、第2回はニューヨークで開催されました(1853年7月14日~1854年11月1日)。場所はマンハッタンのクロトン貯水池跡。現在はニューヨーク公立図書館やブライアント・パークと呼ばれる公園となっています。残念ながら当時をしのばせるものはほとんど残ってはいませんが、ブライアントパークはマンハッタンのど真ん中にある公園として今も皆に愛されており、冬にはスケートリンクが設置されます(写真上)。

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1853年当時のマンハッタンは急激な発展を見せていたものの、まだまだ開発されていない土地も多く、田舎町といった風情があちこちに残っていました。そこに突如2つの巨大な建造物が万博によって現れました。ひとつはクリスタルパレスと呼ばれる1ブロックにわたる広大な十字形の建物で、その内部ではおよそ4,000種もの展示が行われました(写真下)。この建物は第1回のロンドン万博のものを模して建てられましたが、残念ながら1858年に焼失してしまいました。
もうひとつはラッティング・タワーと呼ばれる、ニューヨーク万博のために建てられた塔で、350フィート(約107メートル)の高さを誇りました。これをマンハッタンの高層建築第1号とする考え方もあります。Elisha Graves Otis(現在のOtis Elevator Companyの創業者)という人物の発明した落下防止装置付き蒸気エレヴェーターがこの博覧会で公開され、これがラッティング・タワーにとり付けられていました。

この万博はニューヨークへのツーリズムの火付けとなり、観光客を当て込んで数多くのホテルが建設されました。実際、15ヶ月半におよぶ会期中に100万人以上の来場者がありましたが、財務的には30万ドル以上の赤字となってしまったそうです。

当時のいくつかの記事がこちらに紹介されています。(つづく)

(石毛たける)

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