酒の飲み方(2) 農耕民の場合

画像狩猟採集社会にはサケがなかったので、彼らは飲み方を知らなかったという説を前回のべた。農耕社会では栽培物の余剰で大量の酒を造ることができるので飲み方が変わる。とくに、秋の収穫後にサケをともなった大宴会が開かれることがそれを示している。

柳田国男は、かつての農村社会では、特定の日に人が集まり、神をまつって酒を飲み、徹底的に酔うことにより「ひとつ心」につながることが作法であり目的であったと言った。味なんかどうでもいい、とにかく全員が酔っぱらって、(上下関係のない)非日常的な無礼講の世界に入るのである。放吟したり、踊り、喧嘩沙汰でさえその日は許される。それが顔見知りの集まった小社会の統合法だったのである。それが崩れたのは、(中世から?)都市化、貨幣経済の浸透、流通網の発達によるもので、造り酒屋が「いつでも、どこでも、一人でも」、手にいるうまい酒をつくりだしたからだというのである。

このムラ的な飲み方は、このあいだ故郷の祭りを見にかえったときに出会ったし、私がすごした戦後経済の復興期からバブルの時代、思いがけずカネを手にしたときのおごり酒、大学の新入生歓迎部会、イベントの反省会、職場の忘年会、新年会などとずっと引きずっていた風景だった。

「最近の若者は酒を飲まんなー」と言うオジサンたちの嘆きは、最近の酒飲み運転取り締まりの厳しさもあるが、彼らが「気がつきゃホームのベンチでごろ寝」というスーダラ節の世界を抜けだし、洗練された酒とのつきあい方をする、新しい時代に踏み入れたのだと言えるのかも知れない。そういえば、うちで一人、茶碗で冷や酒を飲んでいる自分自身を発見しておどろき、「丹下左膳みたい」と呟いたりしている。

(カンチョー)

コメント

  1. おやじ より:

    T 虎柄 P パンツ O おっきいなー

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