「人は家に住むのではなく町に住むのではないか?」

博物館で「展示解説&ビール談義withカンチョー」が行われていたその頃、北千里公民館では「ニュータウン連続講座」(全3回)の第1回として、京都文教大学(今春退官)で世界のニュータウン研究をされてきた西川祐子さんによる「ニュータウン世界旅行」のお話がありました。

西川さんの専門はフランス文学からスタートし、近代文学におけるジェンダー論、家族と住まいの考察から、町への関心へ発展し、社会の先端現象が顕著に出る「ニュータウン」へと、研究の対象を広げてこられました。

2006年、「千里ニュータウン展@せんちゅう」でも講座をお願いし、そのときに伺った「人は家に住むのではなく町に住むのではないか?」という言葉が忘れられず、今回、北千里公民館でもお呼びしました。

画像

●西川さんが世界のニュータウンを歩いて集めた資料や写真から…

画像

◎これは千里中央?いいえ、フランスはパリ郊外40kmに位置するセルジー・ポントワーズというニュータウン(2002年調査)。ここは千里ニュータウンに続く頃、1970年から開発され、千里とも縁があるそうです。”New Town”をフランス語では”la ville nouvelle”。この資料には過去形のキャプションがついていて、「かつてニュータウンであった町」と書かれています。開発後数十年を経ると、ニュータウンはどこでも周囲との「同化」を選ぶか、ニュータウンはニュータウンとして生きていくか…2つのシナリオが生まれるとのこと。

画像

◎あ、ここは北千里?いいえ、イギリスはロンドン郊外のハーローニュータウン(2001年西川さん撮影)。この町も設計思想などの部分で千里ニュータウンとは縁が深いニュータウンです。世界のニュータウンは、一見するとどこもよく似て見えますが、近寄って観察すると、そこには違う土地柄や国の政策が刻まれています。

画像

◎あれっ?これは博物館にある千里ニュータウンの模型?いいえ、なんと中国は大連で開発されているニュータウンのマンション販売展示室(2004年西川さん撮影)。ニュータウンはイギリスのレッチワースが第一号とされていて、ヨーロッパからアメリカに広がり、戦後、千里を筆頭に日本流に消化され、今はアジアで経済発展に伴って続々建設されています。

日本型のニュータウン・モデルは1975年前後に成立し、日本は集合住宅やニュータウンのさまざまなコンセプトの輸入国から、輸出国に変わった模様です。

ニュータウンは高度に「システム化」されてされているがゆえに、「コピー&ペースト」で世界に広がることができたのです。

画像

◎ここは名古屋の高蔵寺ニュータウン…ニュータウン近接地の古民家をNPO法人「まちのエキスパネット」がゲットし、地域の人が集う素敵な場「古民家和っか」が2007年に生まれました。

キーマンになった女性は長年ニュータウンの新聞を自主発行し、やがて紙メディアからネットメディアへ…そして「場所」というメディアに活動を展開していきました。

●最後に…

どこかよその国、よその町に「理想の町」があるのではないか…と青い鳥を探しても、それはどこにもない。高福祉を実現しようとすれば高税率になるし、自由競争の行き過ぎを嫌えば統制社会に傾く。欧米の豊かさは植民地経営や世界覇権によってもたらされたものだ。つまり足元から「自分の町」を工夫するしかないのだ…、というお話が印象的な締め括りでした。「紙」「ネット」の次のメディアは「場所」である、という視点も、博物館や公民館という「場」を考えるうえで刺激的なお話でした。

激しく変化するニュータウンに今必要なものは、「文学」なのかもしれないなあ…

※西川さんの著書「住まいと家族をめぐる物語」(集英社新書)は、ニュータウンも含めた近代家族論として、コンパクトで読みやすく、オススメです!

(by okkun)

コメント

  1. okkun より:

    団地建替が佳境に入り、建蔽率とか容積率とかセットバックとか北側斜線とか4/5とか、そんな単語ばかりを多く耳にするこの頃、「家族の住まい方」からニュータウンを考えるとどうなんだろう…?という視点は、ものすごくハッとするものが数多くありました。世界のそれぞれのニュータウンに、それぞれの家族の物語がある…「タウン」は「人」がいてこそ「タウン」なんですよね。

タイトルとURLをコピーしました