古代文明を壊した塩

画像

夏休みのさなか、8月13日(日)14:00から、
総合地球環境学研究所教授 佐藤洋一郎氏による講演会がありました。

佐藤氏が調査に行かれたタクマラカン砂漠にある小河墓遺跡は、今、砂漠のまっただ中にあります。ところが、そこからポプラの仲間の木でつくられた棺や、牛の頭骨がくくりつけられた墓標、そしてムギなどが出てくるのだそうです。
当時の文献には繁栄のようすが記述されていますし、それからさまざまな条件を考慮して試算してみると、相当な面積(=少なく見積もって25平方Km)の麦畑や牧草地がひろがっていたはず・・・

25平方Kmの計算根拠は
小麦の年間消費量=100kg/人
当時の人口(楼蘭王国に倣って)=17000人(仮定)
年間小麦消費量=1700トン
小麦の取れ高=1トン/ヘクタール
必要な畑面積=1700ヘクタール・・・(A)

牛が年間食べる青草=3.3トン
草地の収量=4トン/ヘクタール
牛1頭が必要とする草地=0.8ヘクタール
牛の最小集団サイズ=1000頭
牛の集団を維持するに必要な草地=800ヘクタール・・・(B)

(A)+(B)=2500ヘクタール=25平方Km
ちなみに吹田市の面積は36平方Kmです。

画像

では、なぜ砂漠化してしまったのでしょうか?
原因は、過度の灌漑によって地下深くに存在した塩が(毛細管現象で)吹き出してきてしてしまったからだとか。
人にとって、塩はひじょうに重要なものですけれど、一方で、人が関与することでこのような変化がおこり、問題がおこってきたのです。
現在は砂漠になってしまっている多くの場所で、似たような現象が起こっていたことが報告されているそうです。(メソポタミア、インダスなども、そうなんですって!)

画像

このあと、小山カンチョーとトークがありました。話は、あちらこちらに飛んだり跳ねたり拡大したり、とても、わたくしたちの筆力では、まとめて書くことができません。次回はぜひ、実際に生で聞いて、お楽しみください。

吹田クワイのことも、ぜひ、吹田で展覧会をしましょう、ということになりました(ホンマカイナ?)。

画像

特別付録:
講演を聴きに来ておられた石毛直道氏(民族学者、前国立民族学博物館長)に、壇上から質問が飛び、特別出演していただきました。ありがとうございます。

(by おーちゃん、ぼら、こーちゃん)

コメント

タイトルとURLをコピーしました