鬼道につかえた女王 春の特別展@すいはく

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春の特展についてはこれまでゾウやワニのことばかり書いてましたが、けっしてゾウばかりではありません。他のこともやります。
金関恕先生に講演をお願いするために弥生時代研究の総本山、大阪府立弥生文化博物館へ、タカハシ君といってきました。

先生は最近、タミル語の大野晋さんと共著で『考古学・人類学・言語学との対話-日本語はどこから来たのか』というたいへん刺激的な本を出版されています。(写真右上)

弥生時代になって、水田稲作という強力な生産技術が大陸から導入され、日本各地に急速に広がります。コメは熱帯性の植物ですが、モンスーン帯にある温帯(とくに西日本)性気候にも適した作物だったようです。その結果、それ以前にはほとんど使われることのなかった湿地が水田として利用されるようになりました。取水、排水のための水路で画された水田という生産装置のちかくにヒトが集まり、定住的な村をつくります。背後の常緑の森(山)は、肥料、燃料、有用植物を利用するためにきられて、コナラやマツの二次林にかわりました。弥生時代から、人の手がよく入った風景、今の私たちの心に残るウサギおいしかの山的景観が作られ始めたのです。

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村が集まって小さなクニになり、離合集散をくり返しながら統一されて、大陸と外交関係を持つ国にそだっていきました。3世紀末の日本について、魏志倭人伝は、女王が鬼道をつかって、民を惑わし、国を治めていたと書かれています。また、彼女が死んだ後、男の王を立てたら、国が乱れたので、再び女の王を立てたらようやく治まったとあります。

鬼道とは、霊や魂と交流できるシャーマンのようなものでしょう。また、女じゃなければ国が治まらなかったのもおもしろい。超自然的な力、女性による統治、コミュニケーションはどんな言葉をつかったか、女王の服装やおしゃれにいたるまで金関先生との話は尽きることがありませんでした。

ヤマタイ国は九州にあったのか、近畿なのか。
もし近畿なら、吹田はヤマタイ国のどこにあったのでしょうと聞いたら、そんな事を講演のあとのトークでみなさんとお話できると楽しいでしょうねと先生はおっしゃいました。4月22日(日)の講演会「鬼道につかえた卑弥呼」が楽しみです。

(カンチョー)

写真下は、弥生文化博物館が復原した卑弥呼
(平成10年特別展「卑弥呼の宝石箱-ちょっとオシャレな弥生人-」

より)

 

コメント

  1. okkun より:

    吹田は邪馬台国のニュータウンだった…というデタラメ話を考えてしまいました。人口増加でハニワや土器を短期間で大量生産しなくてはいけなくなると…「規格化」という現象が起きてきますよね。実は女性が仕切ってたのもニュータウンぽかったりして??

  2. 夢島 遊太郎 より:

    金関恕先生は、「卑弥呼」お連れいただけるのでしょうか。>竜宮城の夢島 遊太朗。

  3. カンチョー より:

    そーか、吹田でミス卑弥呼をえらんでおいて、衣装をもってきてもらって、一差し舞うという手がありますねー。卑弥呼は80歳くらいまで生きたそうです。

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