5月22日「延喜式を読む-古代摂津国の産業-」の講義ノート (3)

古代東アジア海上交易路

中国ー朝鮮半島ー日本の海上ルートが形成されはじめたのは約3000年前の縄文時代後・晩期である(従来の説より1000年ちかく遡る)ことが最近のC14年代からわかってきた。
 『魏志倭人伝』には、倭人が漢に朝見をはじめたこと、また「船に乗りて南北に市糴(てき)す」と、さかんに海上活動をくりひろげていたことが書かれている。また、漢の使者(?)が朝鮮半島(帯方郡)から対馬、壱岐を経て末廬(北九州)についたあと、陸上をあるいていくつかの国を通り、再び20日間の航海をして投馬へ、さらに10日の船旅でヤマタイの港に着いたことが書かれている。この港を難波と考えると、古代海上交易ルート(時代を追って整備され、摂津の設置によって完成された)の幹線のかたちが明らかになる。その上にのって、鉄、馬、牛、技術、制度、思想そして人が続々と運び込まれ、日本という国のかたちを大きく変えていったのである。

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(カンチョー)

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