5月2日(日)午後2時から、大阪府立弥生文化博物館館長の金関恕先生の講演会「河内潟周辺の弥生遺跡」がありました。100人を超える熱心な考古学ファンがあつまりました。
摂津、河内、和泉のある大阪平野は縄文時代には海水の湾でした。しかし、気候の温暖化と淀川とその支流からくる土の堆積によって、淡水化して潟となり、さらに平野へと変わっていきました。そのため、米作の場として、また、大陸交易のターミナル港として、古代史のなかで重要な役割をはたしたのです。
縄文時代からの地形変化を追いながら、弥生時代遺跡の出現、ヒミコの時代をへて古墳時代に日本の中心地へと発展していった様子についてお話しいただきました。
これは今回の古代摂津国に関する連続講座の土台となる講演でした。
講演のあと恒例の講師との対話をしました。金関先生が館長をつとめている大阪府立弥生博物館は、橋下知事によって、近つ飛鳥博物館と統合し弥生博物館は廃止という案がだされ見直し中という厳しい状況におかれていることはよく知られています。そこで、思い切ってこの問題に触れました。
「行政は金がないといえばすぐ文化事業を切ろうとする。しかし、博物館はつぶすのは簡単だが(もし将来、景気がよくなったといって)立ち上げるには大金がかるし、知的努力も大変である。今、苦しいからといって、ここまで育ててきたものを、そう簡単につぶしてもよいものだろうか。しかし、人に来てもらえない博物館ではどうしようもないこともよくわかる。おもしろい企画を作るよう努力するので、皆さんにもぜひ足を運んでください」。
つよく心をうたれました。また機会をもうけてこの問題を真剣に話し合いたいと思いました。
(カンチョー)
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