梅棹忠夫先生がなくなりました。先生はすいはくに対してさまざまな助言をいただいただけでなく、2005年「足とはきもの」展では、藤木高嶺さんを加えた館長との対談(『山をたのしむ』に採録)、万博展では「万博を生産した書斎」コーナーの資料をおかりしたほか、何度か足を運んでいただき、たいへんおせわになりました。逝去をかなしむ市民のメールもたくさんよせられています。
(カンチョー)
(2005年5月12日 @すいはく 「梅棹忠夫 わかき日の山をかたる」)
梅棹先生に登場していただいたブログの記事
わが町…梅棹先生に聞いたこと(2006年1月15日)
館長ノート34(2006年5月11日)
5月31日午前 梅棹忠夫氏来館(2006年6月1日)
梅棹先生に聞く(2006年10月6日)
わたしと万博(10)…梅棹忠夫さんに聞く(2007年3月8日)
千里ニュータウンの映画上映ついに最終回!(2007年7月19日)
万博を構想した書斎:「知的生産の技術」が稼働する民博 (2007年10月1日)
万博をつくりあげた頭脳集団(2007年10月2日)
京大型カードの思い出(2007年11月7日)
まぼろしの「カナかなタイプライター」(梅棹先生特注)(2007年11月8日)
インタビュアーのカンチョー(2008年6月2日)
梅棹アーカイブ:すいはくの映像・音響資料について考えたこと(2008年11月2日)
新刊情報! 『梅棹忠夫に挑む』(2008年12月8日)
梅棹忠夫の「知的生産の技術」に挑む(2008年12月12日)
梅棹さんとアンパンマン(2008年12月13日)
本のご紹介: 梅棹忠夫著 『山をたのしむ』(2009年6月27日)
トークショー「梅棹忠夫の山と探検と学問」@長野 のお知らせ(2010年5月14日)
コメント
千里ニュータウンのハード面がひととおり整った1970年代以降、ソフト面の充実に大きな柱となられたのが梅棹先生でした。その拠点になったのが万博公園内にできた「みんぱく」でした。千里文化財団をつくり、彩都の構想をつくり、「京阪神千」「グレーター千里」という魅力的なコンセプトをうちだし、千里をただの「ベッドタウン」から文化のある都市に脱皮させようと努力してくださいました。ご自身も京都から千里に転居され、千里を「ふるさと」として愛し、最期まで千里にお住まいでした。失明したことも「これは違う文化だから習熟しなくてはいかん」と文化人類学者らしい態度で語られた姿勢は、強く心に残っています。先生の精神は小山カンチョーや「みんぱく」を通じて地域に引き継がれていると信じています。どうぞ千里を見守っていただきたいと、祈りを込めて哀悼の意を表したいと思います。
突然の訃報に驚きました。お目にかかったことはありませんでしたが、このブログの記事だったか何かの記事で先生を表して”フロンティア”と書かれていたのが、印象に残っています。万博展で見た細かなスケッチやメモ書きも印象的でした。ご冥福をお祈りいたします。