昨夜、漫然とテレビを見ていたら、「一万人の第九」というのをやっていた。
大阪城ホールの観客席を埋め尽くした人たちが突然立ち上がり歓喜の歌を歌いだした。おー、あれは観客ではなく、合唱隊だったのか。しかし、こんな第九はドイツでもアメリカでも見たことないなーと折からたずねてきた友人が言う。日本の年末はどこでも「第九」ばかり、どーなってんだろう、とぶつくさ言いながら2人で酒を飲みつづけていた。
まてよ、そうすると、この人たちは主催者側で演奏しているのだから入場者数はゼロとなるのか?と突然、去年すいはくでやった「1町5村のアーカイブ展」をおもいだした。あのとき、山田の権六踊りや、江坂の太鼓などをはじめとする多くのイベントをやってもらって、たくさんの人が来た。やる人も大張りきりで、普段は静かな博物館に活気がみなぎった。こちらとしては、主催者側(踊りの参加者)と観客の境をあいまいにして入場者としてかぞえた。かれらはパーフォーマーではあるが、入館者ともみなしたのである。そんな状態を「人を集めるだけが博物館の目的ではない」という批判の声がある、そういえば、1万人の第九でも、「素人の集まりなのでメリハリがないという声もあるらしい。演奏と観客の境がはっきりしないからだろう。それではイベントやまつりに価値はないのか、それを価値付けているのは人であり、その熱気ではないのかと反論したい。体験する感動と見たり聴いたりすることのどちらを評価するかを問題にすべきだと思う。
今、博物館は「見せてやる」といい権威主義的な「教育型」から、参加して楽しむ「体験型」に移りつつあることは、日本だけでなく世界的な傾向である。どうすれば、市民が集まる博物館をつくれるのか、パトカンとしては頭を悩ませるところです。
(カンチョー)
コメント
復活しつつある婆です。
参加している人たちが、「私が参加しているからこのイベントはなりたっている」と思ってもらえるような、参加者の自尊心をくすぐる仕掛けが必要ですよね。
こちょこちょっとくすぐるのです。
団塊の婆さん、嬉しい復活!
博物館に人が押し寄せて、カンチョーが押しつぶされている初夢でも見ることにします。
この催しは最初のころは「サントリーオールド1万人の第九」といい、当初からカンムリがついてました。第1回は1983年大阪城築城400年記念と大阪城ホールのこけら落としの一環として開かれました。当時は大阪21世紀協会ってのがあって、「このイベントは21世紀までのもの」との感覚がありました。
私はその一回目から三回目まで参加しました。三回目までは参加費は無料で、はがきで応募したら確実に当選しました。練習会場は市内や八尾、尼崎などで夏以後隔週に開かれてたと覚えてます。私は桜橋の旧毎日新聞会館で土曜午後に練習してたように記憶します。
四回目あたりから楽譜代として参加費千円が要るようになりました。三回目はバース、掛布、岡田で阪神が21年ぶりに日本一になった年で、秋ぐちは練習どころでなかったのです。
そのようなワケで四回目以後は参加しなくなりました。