鳥浜貝塚発見50周年パネルディスカッション  :11/19カンチョー@若狭三方縄文博物館隣

トリハマ貝塚のパネルディスカッションは梅原猛先生の講演のあとを受けてはじまりました。

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この小さな町*に300人をこす人があつまったのにはいまさらながら驚きました。そのあとはじめたのですが、1/3の観客が去っていました。それでも、200人なので大盛況と言うべきでしょう。

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1961年にはじまった鳥浜貝塚の発掘は970年代末になって全国的な注目を集めました。2000年には、日本最初の縄文博物館ができ、地元での地道な調査と博物館をもり立てる市民活動が続いているという1つの遺跡が残した歴史を省みる内容となりました。

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花粉分析によって縄文の環境を追求した安田喜憲氏、フローテイション法で魚骨や木炭など自然遺物から縄文人の生活復元をはじめた西田正規、コンピューターをつかい縄文人口を計算したわたしは、土器や石器を扱うことを旨としていた当時の考古学界では「縄文の三悪人」とよばれていました(安田氏はそう本に書いたそうで、パネルでもさかんにいいいつのっておりました)。しかし、今では、環境問題への関心の高まりもあって、考古学の主流はそちらに向かっており、鳥浜の発掘に参加した当時の若者(学生)たちが、中心をなって現在の学界を担っていることはまぎれもない事実です。そんな、いわば、ご先祖様に当たるユーベンな人たちの発言をまとめ、90分で終わらせるのは大変な仕事でした。

わたしは、発掘時はアメリカにいたこともあってご先祖様とはいえないのですが、ドキドキ会という博物館の市民活動にかかわり、縄文の生活ーファッション(あの真っ赤な漆塗りのクシは縄文人がおしゃれであったことのヒントとなった)、音楽(みんぱくの名誉教授 崎山理さんが縄文語に翻訳した「故郷の歌」はドキドキ会の持ち歌となり各地に出かけて唄っているそうです)、住居生活、食べもの、薬などについて応援してきました。
原発問題で、逆風下にあるこの地方ですが、博物館の存亡もふくめ、しっかりと文化を守っていくのはやはり地元の人々の愛郷心とプライドだとつよく感じました。

(カンチョー)


* 若狭町の人口は、16,104人(平成22年)。
若狭三方縄文博物館の公式ブログに、11/19の報告(11月20日)があります。こちらもどうぞご覧ください!

コメント

  1. もぐら より:

    縄文の丸木舟からかたどりしたFRPの舟ののりごごちは、最高でした。ルリ子さんとのったんだったなあ~。
    鳥浜貝塚の調査ってちょうど私が生まれた頃の話なんですね。
    うちの庭にはトリハマ型の斧をつくりかけた木の枝が散らかっています…。

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