中西家は江戸時代後期以降、代々淀藩の大庄屋を務めていました。
庄屋という言葉は村のまとめ役だとふつうは理解されていますが、大庄屋というのは、あまり聞きなれないものです。それは何を意味しているのでしょうか。
江戸時代の地方行政は、現代のように全国一律ではなく、地方分権化した藩によって細かな組織や名称の違いがありましたが、モデルとなっていたのは幕府直轄地の組織でした。そのトップにあるのは、勘定奉行の下の代官(郡代)で、陣屋に住み、元締、手代、書役など40~50人程がその下で働いていました。それに対して、村かたでは、地方三役とよばれる、庄屋とその補佐に当たる年寄・百姓代(五人組の頭分)という組織がつくられていました。
大庄屋というのは、村が大きくなり、庄屋が乱立する状態になった時、その代表として選ばれて、他領地の代官らとの折衝にあたっていました(特に吹田は旗本領、淀藩領、高槻領、上皇領など、領地が入り乱れています)。現代で言えば市長といったところでしょうか。
さて、庄屋の仕事は、宗門改めや風俗の取り締まりといった幕府からのお触れの伝達や、年貢の割り付け・取りまとめなど、幕政の末端業務があった一方で、山野・用水の管理や道・堤防の普請、訴訟などがあり、村社会の運営をも担う村民の利益代表でもありました。当然、庄屋たる人物には人柄の良さや筆算能力をはじめある程度の教養が求められたことでしょう。特に大庄屋は、信任厚かったようで苗字帯刀を許され、多額の給米がありました。こうした地位・教養・財力を背景として文化人が集い、中西家にも多くの美術作品が伝えられたのです。
今回の展示は絵画、書、茶道具が中心ですが、長くこの地域の文化を支えてきた名家の一端でも示すことができればと思っています。
(寺澤慎吾 吹田市立博物館)
■平成24年度 春季特別展■
「(仮称)大庄屋 中西家が伝える文化~其宅華麗 殆類候居」
会期/平成24年4月28日(土曜)~平成24年7月1日(日曜)<予定>
前期:4月28日~5月27日、後期:5月30日~7月1日(会期の前期と後期で展示内容の一部が異なります)
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