11月23日(土)午後2時~3時半、京都橘大学文学部教授の南直人先生による「ドイツにおけるビール消費の歴史」のご講演がありました。
1995年の統計によると、ドイツのビールの生産量は約1億2千万ヘクトリットル(hl=100リットル)、醸造所は1243ヶ所を数えます。平均すると1人あたり年間139.6リットル(日本は56リットル)、とくに南ドイツでさかんで、バイエルンでは240リットルと全国平均の倍ほども生産されています。
ビールが歴史的資料に登場するのはハムラビ法典だそうですが、中世に醸造法が発展し、以来ドイツの食生活に大きな位置を占めてきました。有名なビール純粋令は1516年バイエルンで制定されています(が、しかしそれは当時バイエルンがビールの後進地で、品質がよくなかったためだったそうです)。17~18世紀の資料をみると、たとえば救貧施設の支給品は黒パンとビール、ギムナジウム(12~19才の全寮制の学校)の食事にさえビールが出ているし、農業労働者の冬の朝食は黒パンとライ麦の粉をくわえてビールと一緒に煮たかゆだったとか、とにかく主食とでもいえるほどの地位にあったのだそうです。
しかし、18世紀後半から19世紀にかけて、ビールの消費に大きな変化がありました。オランダやイギリスなど貿易で繁栄していた国々から、新しい食文化が入ってきます。新大陸原産のじゃがいもが普及し、シュナップスという蒸留酒(ジャガイモの焼酎)が安くつくられるようになったために、ビールよりもよく飲まれるようになります。
しかし、ドイツも均一ではなく、南北較差があって、港湾があって外との交流がさかんだった北部ドイツでは新しい食文化をいち早く受け入れたけれども、中南部ドイツでは、その影響をほとんど受けることなく、ずっとビールの生産が続いていました。
バイエルンのビール産業がすすんだのは、先進地域に学べと、1832年ガブリエル・セードル・マイヤーという人が、スコットランドにビール醸造の研修に行き、あたらしい技術を導入してからだということです。
それから50年後の1888年、日本人がその南ドイツにビール製造技術を学びに行って、吹田にビール工場ができる・・・ことになるのですね。
南先生はヨーロッパ食文化にくわしく、編集員の一人として農山漁村文化協会発行の『世界の食文化』シリーズ(全20巻+別巻1、今年11月に完結)に関わり、第18巻ドイツはご自身が執筆なさっています。
(こぼら)
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