この記事は、こないだの続きです!お盆でだらけてる頭を引き締め直してデータのお勉強!
…さて前回は「吹田市立博物館」という言葉がこの数年間どれぐらい検索されてきたかを見ましたが、お客さんは正式名称で検索するとはかぎりません。この分析ツール「Google Insights for Search」は複数のキーワードのグラフも出せるので、さっそく挑戦。(グラフはクリックすると大きく見られますよ~)
赤いグラフが「吹田博物館」、青いグラフが「吹田市立博物館」、黄色いグラフが「すいはく」で検索された数。「吹田博物館」で探す人のほうが「吹田市立博物館」で探す人より多いですね。「吹田市立博物館」で探す人はよく知っている人、「吹田博物館」で探す人はもう少し大雑把に探している人で、前者のほうが市民企画の特展時期に集中する傾向があります。略称の「すいはく」はぐっと少ないですが、2009年あたりから徐々に増えてきています。この略称は2006年の終わりごろからこのブログに登場し、2007年の新春コメント大会で「愛称は『すいはく』でいいんじゃないの?」となんとなく公認され、「博物館だより」にも使われるようになり、しだいに定着してきていることがうかがえます。
「吹田市立博物館」「吹田博物館」「すいはく」、3つのキーワードで検索された総数を足してみました。2006年春の千里ニュータウン展以前/以後ではっきりと次元が変わっていることがわかります。以後はアップダウンを繰り返しながら、なんとか恒常的な活気を保っているといっていいんじゃないでしょうか?「一発屋」に終わらなくてヨカッタですね~。でもいつか何かやってないと…。
次のグラフは、大胆にも「吹田市立博物館+吹田博物館+すいはく」と「国立民族学博物館+みんぱく」の比較です。もちろん多いほう(赤)が「みんぱく」連合。…がっかりしました?でも国立と市立ですから…。よく見るとびっくりしちゃうのは2006年春。千里ニュータウン展のときですが、「すいはく」同盟が「みんぱく」連合に迫る勢いです。これはすごいことです!かたや国立、こちらは市民の手作りですよ!どれだけ予算違うと思ってるんだ!?このときに限らず、獲得した検索数をかけたお金で割ったら、「すいはく」のほうが効率よく検索をゲットしていると言えるのかも…?ああおそろしい。
おまけに、東阪名の三大ニュータウン、「多摩ニュータウン」「千里ニュータウン」「高蔵寺ニュータウン」の検索数を比較してみました。赤が多摩、青が千里、黄色が高蔵寺。やはりというべきか、人口にほぼ比例しているとも言えますが、多摩ニュータウンで検索されている数が一番多い。2004年に多摩で特異値がある理由はわかりません。大規模マンションの販売や事件などでもこの値は動くので、これが一概に「町の力」とは言えないですが、首都圏にある多摩はマスコミに出る機会も多く、ニュータウンの取材と言えば多摩に行ってしまうことが多いのが千里住民としてはちょっと残念…。首都圏にない町は、それだけ強い情報発信力を持つ必要があるということです。つまり「話題づくり」ですね。
おまけのおまけに、「多摩ニュータウン」「千里ニュータウン」「高蔵寺ニュータウン」に「港北ニュータウン」と「千葉ニュータウン」を加えてみると…おおっ!さすがに新しいニュータウンは元気です。一番上の濃い青が千葉ニュータウン。緑が港北ニュータウン。千葉ニュータウンは都心から遠くて電車が高くて失敗ニュータウンの代表格のように言われることが多いですが、「検索される数」ではダントツに多い…。それだけ情報の渦が回っているということで、やはり町が若いのでしょう。
たくさん検索されればいい、というものではない。もちろん物事には「量」と「質」の両方が重要です。しかしこんなマーケティングのツールをひとつのバロメータにしてみることも、ひとつにヒントにはなるのではないでしょうか。
(あ~しんど、のokkun)
コメント
「すいはく」同盟のグラフ(上から2つめ)に2004と2005にふたつの単発的な山がありますが、2004.6.のカンチョー就任、2005.春、はじめて市民協力があった「足とはきもの」展開催と関係あるのかな?
ちょっとよくわからないですねえ…そうなのかもと思っておきましょうか。いつどんな特展をやってきたかっていう一覧をWikipediaあたりに書いておかないとですね。
学術論文みたいで、おもしろかった。どこか博物館関係の紀要にでも出したいですね。「すいはく」と「みんぱく」でかけたお金を検索数で割った数字も知りたい。
けっこうもっともらしく見えますが、わりといい加減なところもありますからこのへんで…たとえば「吹田博物館」で検索した人は、実は吹田の博物館…「みんぱく」を探してたのかも?とか、「みんぱく」連合には「民族学博物館」で検索した数を入れるべきじゃないか?とか(そうすると佐倉の歴史民俗学博物館と間違えて検索した可能性を排除できない)、掘っていくとヌカルミに入っていきます。直近の動向もデータが十分溜まっていなくてあまり詳細に信頼できないかも?でも2006年以降と2005年以前がはっきり違うことは確実に言えるでしょう。予期せぬ惨事にも負けず、ブログにせっせこ情報ためてきたことも寄与していると思います。被検索数が下がっていないことは何よりの励みで「継続は力なり」ということですね!
みんぱくを検索していたら面白いサイト見つけちゃった。
http://dailyvitamin.jp/2009/08/1525/
「ハハコで行きたいハーコーなハコモノ巡りの旅」。主婦ライターによる全国のハコモノ=博物館見聞録ですが、しろうと離れしてますね。序文の「動機」が、市民がすいはくになだれこんだいきさつと似ている…。すいはくにも来てくれないかな?
お久しゅうございます。
拝読しておりましたら、私が吹田に越してくる前に住んでいた「港北ニュータウン」の名前が出てきましたので思わず参加
20~15年ほど前になりますが、その当時は造成中の荒野からどんどん新しく街ができていって
私たち乳幼児連れ子育て世代が多くて
この街では私たちが主役~みたいでしたね
住んでた区では当時、区民の平均年齢35才で横浜で一番若かったのですよん。
私も含めまわりのママたちもPCにちょっと関わり始めた頃でしたね~。
メールか子ども寝かせてから夜中のチャットで・・・懐かし~
去年10年ぶりに訪ねたのですが、さすがに年月を感じてしまいました
いやいや、千里に比べたら港北はまだぜんぜん若いです!一昨年に行ったレポートがこちらから数回連続でありますのでよろしければお読みください。
http://senri-g1964.at.webry.info/200808/article_5.html
レポート拝読いたしました
短時間でよくあれだけの情報を手に入れたなぁと感心しきりです。
なつかしい地名や景色に感傷に浸っちゃいました
ありがとうございました
出張帰りで時間がなくて、「観覧車の上から町を見る」っていうのはわれながら天才的な思いつきでしたが、まちあるきの方法としてはカンニングもいいところです。今度はちゃんと歩いてみたい。よくできた計画だと思いました。千里だって昔は若い家族「しか」いなかったんですよ本当に…。