アイデンティティとしての氏神さま

画像吉志部神社の社殿の再建が順調に進んでいる。焼失のあと直ちに開かれた寄り合いでは、今年の秋の400年記念大祭に間に合わせることになっていたという。氏子たちは自分たちの社でどうせなくなったのだから、テッキンでもプレハブでもとにかく早くという気持ちだったらしい。
しかし、そこはもと、国の重要文化財、さまざまの規制があって、計画通りにはいかなかった。棟上げの儀式があったのは8月7日、完成は来年の2月である。それでも、あの規模と内容を考えるとすごいスピードである。それはなぜなのか?

先日飛騨の調査にいったとき、目に付いたのは、古い集落にあった神社が立派に立て替えられていたことだ。ほとんどがプレハブ素材らしいが、大型になり、境内や周辺道路も整備されている。ちょうど秋の祭りで集まってきた地元の人に聞くと、「村の人口が半分に減った」、「町から若者が帰ってこない」、「経済が疲弊して、未来は暗い」など、嘆きの言葉ばかり出るのだが、それでも地元の神社に身銭を切って立派なものをつくるのである。

はるか昔から氏神はムラの生活と経営の中心であった。飛騨の古い記録を見ると、新しく村を開くときは、かならず親村の神社を分祀している。多分その基礎は室町時代の惣にさかのぼることができるのだろう。祭りに残る民俗学的遺産ともいえる古めかしい行事や儀式がそれを示している。それらは、子供のときから刷りこまれ、共有されてきたものである。農村が崩壊に瀕している今、神社は人々の心のよりどころであり、仲間をつなぐ絆なのだ。現代経済に食い荒らされたムラの再興のための必死の努力が実をむすぶかどうか、神社は彼らのアイデンティティの最後の砦なのだと思う。

これまで私は神社を「神道」という宗教カテゴリーのなかで考えていたが、それはあまりにも西洋的だったと反省している。氏神、鎮守といった名を手がかりに、神社の性格をもう一度、考え直さねばならないだろう。

(カンチョー)

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