講演『水と吹田-水がつづる吹田の歴史-』 :西国街道連携事業

すいはくは昨年度に引き続き、今年度も西国街道連携事業に参加しています。
今年のテーマは「水」。10月~12月に西国街道周辺の市町村、美術館博物館・資料館で様々なイベントが催されます。
すいはくでは、10月8日(土)14:00~15:30、加賀眞砂子先生(吹田郷土史研究会顧問)に「水と吹田 水がつづる吹田の歴史」と題したお話をして頂きました。

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吹田の名水
まず登場したのは、「吹田の三名水」・・・垂水の滝、泉殿宮の霊泉、佐井の清水。
昔から吹田の水は、景勝地として、また、特別な霊験を持った水として有名でした。
かつて「吹田の水はおいしい」と言われていたようですが、現在、吹田の飲み水は割合として大阪府営水道水が過半(57%)を占めているとのことです。

吹田の水と産業
吹田の水は産業の発展にも深く関わりました。
吹田の地下水に目を付けたのは大阪麦酒会社(アサヒビール)です。明治22年(1889)会社設立、2年後の明治24年から煉瓦造りの工場で操業を開始しました。
また、神崎川の流水を利用して、綿布晒(さらし)業や友禅工場(型染め、糊落とし。染め糊を餌にするしじみが集まったそうです。)、製紙工場などが建てられました。
昭和30年代中程から急速に発展した神崎川沿岸工業地帯には、大幸薬品やマロニー、日本製紙パピリア、日本触媒、千日、紀州製紙、・・・など多くの工場があります。

水路による交通運輸
延暦4年(785)、桓武天皇の命で、淀川と三国川(のちの神崎川)をつなぐ工事が行われ、これが京~西国を結ぶ大動脈となりました。
岸部には後期難波宮や平安京の瓦が焼かれた七尾瓦窯、吉志部瓦窯などがありますが、窯が造られた要因として地形、土のほか、水上交通の便も考えられるでしょう。
この水運(舟運)の発展によって、吹田は、貴族らが寺社参詣の折りに立ち寄ったり、過書船・屎船の交易で賑わったり、武家や豪農を頼って文化人が集まったりする地となりました。

吹田と水害
吹田は淀川や神崎川堤防の決壊によって多くの水害にみまわれました。
吹田周辺の河川改修は、江戸期には複雑な領地問題が絡んでなかなか進みませんでしたが、明治に入ると徐々に行われるようになります。
明治11年(1878)には神崎川の改修、明治30~42年(1897~1909)には淀川改良工事が、昭和16~17年(1941~42)には糸田川・上の川の改修がなされました。

最後に、以上のような吹田の変化をずっと見守ってきた「吹田市内及び周辺の街道」についての解説がありました。
時に脅威ともなりますが、吹田は水から多大な恩恵を受けてきたのだと改めて認識しました。今回の講演は古代~現代までの吹田の歴史ほぼダイジェスト版といえるものでしたのでたいへん満足いたしました。聴講者は60,70歳代の方がメインでしたが、30代女性の方も幾人か来られていました。

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(ST)

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