10月12日(土)13時から講座室でオープニングイベントがありました。
井上市長挨拶:吹田市はアサヒビールと操車場のまちと言われていた。日本全国の貨物を吹田で扱っていたという歴史がある。
その操車場がなくなり今年は貨物駅ができた。
天皇陛下が操車場に来られるので岸辺駅ができたという話もある(らしい)。
名神高速道路はオリンピックを前にして昭和38年に日本ではじめてできた高速道路だ。
道路と鉄道で吹田が日本の歴史を作ってきたのだということも展示の中から読み取ってほしい。
展示の内容は決してむつかしいものではないので子どもさんも楽しんでほしい。
中牧館長挨拶:市長から「吹田は鉄道と道路のまちだ」という話があった。まさにその通りで今年は操車場開業90年、名神高速道路開通50年というダブル記念の年だ。交通の20世紀といわれるように、20世紀はまずは鉄道がひっぱり、東洋一といわれる吹田操車場で日本の物流を担った歴史がある。
20世紀の後半、1963年に名神高速道路が開通して物流の主役が鉄道から道路に移った。吹田はこの姿を間近かででみてきた特異な立場にある場所だ。
そこで吹田操車場と名神高速道路、この二つの展示を企画した。
展示場でいろいろな発見があるだろう。その中のひとつとして、あれほどの有名で存在感のあった吹田操車場だが地図に描かれていないという発見があるだろう。観光用PR地図に描かれたり描かれなかったりしているのだ。
また、操車場は現在は貨物ターミナル駅になった。コンテナが目立ち、物流の拠点であることが見える。しかし吹田操車場が元気だったころ、近所の人は深夜まで音に悩まされたのではないだろうか。それは日本の大動脈を支えつつ日本の近代化に進むための代償であったのかもしれない。
20世紀の後半には名神高速道路そして万博が吹田を世界的に有名なまちにした。「ふきた」といわれたりしたが「吹奏楽の吹だ」ということで吹奏楽の消防音楽隊を招いた(笑)。
万博が吹田の名をを世界に知らせ、道路交通では吹田ICは結節点の役割を果たした、昨今道路の構造物の保守点検という課題がある。また名神からすいはくは見えるがすいはくからは名神が見えない(注1)ということが象徴するように、フェンスで仕切られた吹田SAとの近所づきあいができていない。これは21世紀の課題だ。
今回の特別展開催に当たってNEXCO西日本、JRや個人のかたがたのコレクションもお貸しいただいた。
見るところはたくさんあるし、動くものも用意し、イベントも多彩なので12月まで楽しんでいただきたい。
(注1) 吹博からは名神が見えるが、名神からは吹博が見えない(or見えにくい)、と訂正です。
消防音楽隊のみなさんありがとう。有名な銀河鉄道999を聞きました。目をとじると列車が宇宙を飛び交っているという芸術が思い浮かんできた。芸術の秋だ。音楽、美術、読書に親しむいい季節だ。特別展にも多くの人に来ていただいて楽しんでいただきたい。
今回の特別展は物流、交通の要衝の内容だ。吹田操車場は物流そのものだ。名神は人を運ぶ。万博には6400万人が世界各国から集まった。
皆様には市民文化部に尽力賜っていることの礼を述べる。市議会としても皆様の意見を拝聴しながら心豊かな市民生活を送っていただけるように取り組んでいく。今後とも理解と協力をお願いする。博物館の今後の発展と参加の皆さんの健勝多幸を祈る。
吹田市消防音楽隊「交通の20世紀コンサート」
1:銀河鉄道999
2:栄光の架橋(ゆず)
3:Disney Blockbusters
4:花は咲く
五月女賢司学芸員が展示案内をしました。
ロビーでは鉄道模型運転会が開かれました。
(おーぼら)
コメント
「おおぼら」さん、挨拶のまとめ、ありがとうございます。ただ、一点、吹博からは名神が見えるが、名神からは吹博が見えない、と訂正させてください。大阪、神戸方面に向かう車に瞬間的に「吹田市立博物館」の存在を知らせる方法、何かないでしょうか。よそ見運転されても困りますが…
名神高速からすいはくは見えますよ 以前 わざわざサービスエリアからすいはくの写真を取りに行ったことがあります。
人と荷物を運んだ物流の中心だった鉄道、子供の頃の思い出、山陽本線 岡山県、笠岡駅そばに住む祖母とのやりとり「チッキ」の展示が欲しかったな・・
チッキ、懐かしい言葉。
いつの間にかなくなっていましたね。
「チッキ」素晴らしき制度 宅配便が当たり前の今世ですが 懐かしい思い出 そして鉄道貨物としては後世に伝えたい制度かと思います