トークショー★バスオールを最初に使った人たちと「お風呂について話そう」
出演:千里ニュータウン住民代表 榊清子氏・南部正代氏
千里ニュータウン元管理人 西田絢子氏
エア・ウォーター社元副社長 遠藤眞吾氏
吹田市立博物館長 小山修三
司会 お風呂アドバイザー おかきた‘まり
演劇から中休みを15分入れて、始まったトークショー。地味な話題にもかかわらず、たくさんの方のご参加で満席に。温かく包んでいただき、ありがとうございます♪
最初に、千里ニュータウン展にバスオールが来た由来から。バスオールを展示したいというコメントを掲載した、昨年10月に市民委員会が立ち上げたブログを、スクリーン画面を見ながら紹介。インターネット検索でバスオール探しを始めたと、ネット時代らしい活動エピソードを披露。
展示室のお客様からいただく「どうやって入るの?」という質問から、シャワーでは満足できない日本人のお風呂の入り方に、おしゃべりが広がります。ユニークな形は、江戸時代の個人用蒸し風呂「おろげ」や「飛び込み風呂」に似てないかというと、「そうそう、バスオールは蒸し風呂みたいやったよ。」とあいづちが。
そして、バスオール誕生秘話へ。ガスの販売拡大には風呂がいい、朝に電話注文したら夜入れるような風呂をつくろうと奮闘していた「ほくさん」の遠藤氏が、茨城県水戸市の発明家立井氏が考案した「お座敷風呂」の紹介記事を発見。すぐに提携して販売へ。本社のある札幌からスタートし、東京、大阪と販売拠点を広げたけれど、最初は苦心したそう。
バスオールの普及秘話が続くなか、まったく忘れられていた事実が判明。お風呂がなく困っていた千里ニュータウン府営住宅B団地の住民には、バスオールは福音。しかし、府は、近隣センターの銭湯経営者たちに銭湯開業を依頼したてまえ、その営業不振につながるバスオールの設置を許可しなかった(できなかった)のです。
府の職員をかねていた管理人は、同じ住まいにいて、住民のニーズは痛いほどわかっていました。けれど立場上、バスオール設置を認めるわけにもいかず…元管理人:西田氏は、「とてもしんどかったです。うちが最後にバスオールを買ったんですよ。」と明かされました。
「当時の住民は、お隣さんでおしょうゆの貸し借りをするような、近所づきあい。それはもう一致団結でしたし、わたしら管理人の言うこともよく聞いてくれました。いい時代に管理人をやらせてもらいました。」管理人夫人として夫を支えた西田氏からは、そんな言葉も・・・
西田氏ご夫妻は、1ヶ月間の使用テストをしてみて、建物に負荷を与えないならば、設置を許可してほしいと府に対して働きかけます。使用結果は、なんら問題なし。そこで府は、住民の責任においてバスオール設置を黙認。ただし、耐重量オーバーになるベランダはNGに。そこで住民たちは、バスオールは家具なんだと部屋の中に設置していきました。
遠藤氏によると、同じ問題を抱えていた東京都営住宅では、このような住民パワーは生まれなかったとのこと。そして、千里ニュータウンは、バスオールセールス日本一記録をつくる町となり、この設置が、やがて千里ニュータウン:府営住宅B団地の増築運動へとつながっていきます。
「バスオールは、室町時代から続く風呂なし長屋から、風呂つき住宅に進化するキッカケをつくった革命的なモノだった。」と小山館長が指摘。これをバックアップした千里ニュータウン住民は、日本の住宅革命の担い手といえるのではないでしょうか。
※イラストは国立民族学博物館:吉田教授の「風呂とエクスタシー」からお借りしました
(広報@おーちゃん&おかきた’まり)
コメント
28日色々お世話になりました。ありがとうございます。最高気温20度未満の土地からお礼を申し上げます。大阪府の対応の件です・・・くどいようですが、佐竹台テストの結果でも、府の許可は出ませんでした。ただ万一問題が起こったら自己責任で、入居者が対応する条件のもとで 黙認する・・・というものです。この部分だけは 出来れば西田さんにお確かめ願います。