日時:2006年6月3日(土)
開場13:30 開演:14:00~
場所:吹田市立博物館 講座室
講師:畑祥雄氏 彩都IMI大学院スクール総合監督
関西学院大学総合政策学部教授
演題:「グレータ千里」
~千里ニュータウンと彩都で創るグレータ千里構想~
千里ニュータウン展が大成功していることは全国的に話題になっている。
今までは、博物館が展覧会を作り、市民に「来てください」という形だった。今回は市民参加で展覧会の扉を開いたことが話題になっている。
成功の原因として
○オープンマインドな館長の存在。
○熱心な市会議員が博物館を良くしようと持続的に活動したこと。
○市民が万博公園や太陽の塔を文化的資源ととらえ、吹田を活性化させようと地道な運動を続けてきたこと。
○元気な団塊の世代がプロフェッショナルな技法・技術を地域に持ち込んだ。
○税金で博物館が運営できる時代ではなく、自ら市民に開いていくために企画を市民と協働でやっていく流れができてきた。
などが考えられる。
今後この方式は『吹田方式』として全国の美術館・博物館に波及していくと予測される。
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「彩都と千里ニュータウンとは違う」と思っていらっしゃる方も多いでしょう。
彩都は1980年代はじめに計画されたもので、当初から千里ニュータウンと彩都とはツイン(双子)として考え、発展していくとマスタープランに書かれていた。千里ニュータウンはそれのみで将来も伸びていくものではなく、北は京都、西は神戸を含めた地域全体をグレーター千里ととらえ、その中心が千里と彩都になる。梅棹先生はこのような考えをお持ちであった。
まちには産業が必要だ。千里ニュータウンには産業がない。しかし産業を拓く可能性はたくさんあった。大阪大学、民族学博物館などが近くにあって情報産業、文化産業を持つことができたはずである。具体的には出版業や放送業、新聞業。これらを持つことができたのではなかったか。
最先端の研究を広めるための出版業などの新しい情報文化産業が千里を中心にあればもっともっと活性化していたであろうと考えられる。しかしこれは過去形ではなく、今後にも可能性はある。
千里ニュータウンは45年で素晴らしいまちに発展してきた。さらに発展していくためには何らかの産業がないと若い世代が仕事をしながら住むことができない。
千里ニュータウンの今後にどのような産業が必要か。大学、博物館などの門前町としての情報文化産業をはじめとする産業がまちを強くすることに必要だろう。
千里ニュータウンを強く・発展させるために彩都のまちが必要だ。彩都は千里ニュータウンの45年の成功の智恵の上に作られようとしている。二つのまちの相互作用がこの地域全体を発展させていくことになるだろう。
学校には運動場があるが、これは明治以来富国強兵の国是のために強い身体を作ることが求められた結果である。学校制度ができて150年たって何かが忘れられてしまった。感性が貧粗になったのだ。
千里ニュータウンには緑が多すぎるくらいあるが、本来存在した樹種、植生は無視されている。
人間が山に係わって豊かな里山ができてきた。里山が日本の牧歌的風景を作っていたが都市化と過疎化、高齢化で全国の里山の現状は荒れ放題になっている。しかし彩都は周辺に豊かな里山が残っている。
千里ニュータウンは彩都という新しいまちを通じてその背景にある日本全体の自然、風景を考えていくためにも重要な関係性があると考えて頂きたい。
21世紀の学校には運動場は当然として、里山が必要である。まちの学校の近くに感性を豊かにする里山が必要である。千里ニュータウンは彩都の里山を使える環境にある。
里山はヒトの感性・五感の学校である。花の色で視覚が育まれ、虫の声や鳥のさえずりで聴覚が、花の匂いで嗅覚が、里の食べ物や蜂蜜では味覚が、草や風で触覚が育まれる。里が人間の五感を作ってきたのだ。
この考えに立つとき千里ニュータウンから少し外に目をやると大きな財産(=里山)がある。子どもを育てるには豊かな場所であり、門前町としての情報文化産業が育てば千里ニュータウンには多くの人が集まるであろう。情報文化産業には力はいらない。智恵・体験が必要な産業です。高齢化の中でさまざまな体験をした人が智恵と体験を出せば情報文化産業は成り立っていくのだ。千里ニュータウンにはこの可能性がある。
グレーター千里は西国街道(京都-高槻-茨木-彩都-千里-神戸)として昔から存在したのだ。これらを有機的に繋ぐことで閉じられた千里からグレーター千里へと発展するのだ。周辺緑地=グリーンベルトは50年経って千里ニュータウンを閉じられた世界にしてきていた。開かれると成功する。吹田の博物館と同じである。
明日閉幕するが開かれた扉は開き続けるようにしないと、一旦閉じると大変な力を必要とする。同じく千里ニュータウンもまち全体を彩都に、北摂に開いてグレーター千里にまで開くまちづくりをすれば、50年、100年先の千里ニュータウンは素晴らしいまちになるだろう。
(by おーちゃん)
コメント
わたくし千里NTに42年間住んでて(中ヌケあり)思うのですが、千里NTの内と外は、最初のころはそれはもう、ぜんぜん別世界だったし、人も、地球人と宇宙人ぐらい違っていた。でも…40年以上たって、かなり「にじんで」きてるような感じがします。NTの中は高齢化したし、NTの外は(かつてのNTと同じような)若い人たちがたくさん住み始めた。僕ら「NT二世」の人間は、大きくなって独立して、周辺部に移った人間も相当います。いまや、気質は「ほとんど一緒」になってきてるのでは?「周辺緑地」には功罪ありますが、緑で囲まれた町と、最近アメリカとかで増えている「ゲーテッド・シティ」(柵で囲まれてて中は安全…という触れ込みの富裕層向けの町)と、どちらがいいでしょうか?…緑の壁を心の壁にしないことですね。
講演聞きたかったのですが、公民館講座を運営していました。「子どもの国際理解」のワークショップです。国際理解?そんな難しいことでなく、異文化共・多文化理解・友達理解と言う感じでしょうか。初対面の子どもが輪になり、名札を見つつ次々とカードを同じ人に渡してゆきます。その時、名前を呼び返事をするのですが、なんとみんなの声が小さいこと・・・。更には、誰にカードを自分が貰い、渡したかも忘れる始末。いかに人との関りをしっかり受け止めたり、自分から関ろうとしていないかがよく分かりました。千里ニュータウン人も、グリーンベルトの中に納まらず近隣の住人とも積極的に関われ!!ってことですね。今回のニュータウン展では近隣や旧市街の住人が多く参加しました。これも成功の秘訣と私は思ってますが。