アートよもやま話 ”20世紀少年”は私かも -第五回内国勧業博覧会からEXPO’70へ-

氷が降った3月24日(土)、午後2時から大阪大学総合学術博物館長・教授の橋爪節也先生の 「アートよもやま話  ”20世紀少年”は私かも -第五回内国勧業博覧会からEXPO’70へ-」がありました。

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今日は、「私の万博ツアー」「小松左京 新発見資料」「ハンパクニュース」「第五回内国勧業博覧会」の4つを柱にお話いただきました。

万博開催時、大阪に住む中1だった橋爪先生は、万博に13回行ったそうです。いちばん最初に入った三菱未来館の映像展示にびっくりして、それではまってしまったとか。
まず最初に「大阪万博の何がすごかったのか」、たくさんの写真を見せながら当時の先生ご自身の記憶を交えて説明がありました。お話を聞いていると、パビリオン、展示内容、パンフレットのデザインや造形にかかわる印象がつよかったようで、美術史家になられた先生の原点はここにあるのかも。。。と感じました。

大阪万博にどっぷりつかった橋爪先生は、杉浦直紀の『21世紀少年』を読んで、作者が同世代でありながら、じつはまったく万博を見ていないこと、しかし、見なくてもここまで雰囲気をつたえていることに驚かれるとともに、大阪万博が顧みるに値するものであること、「記憶」を集めまとめることの大切さに気づき研究をはじめられます。大阪大学21世紀懐徳堂で「大阪万博を検証する」シンポジウムを開催されたり、また、この4月にはその成果がまとまり、『なつかしき未来「大阪万博」』として刊行されます。関係者の証言をおさめたDVD(約50分)付。サブプロデューサーをつとめられた小松左京さんのインタビューもふくまれており、ちらっとそのさわりを見せていただきました。小松左京さん宅から発見された「万博をかんがえる会」資料には、ジョーダンなんだか、本気なんだかわからないような発言が満載・・・その自由な発想が、それまでの万博が産業博覧会だったのが、文化・芸術に重点をうつしていく原動力になっているのがわかりますが、このインタビューは、その雰囲気がよくでていると思います。

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さて、第五回内国勧業博覧会というのは、明治36(1903)年に大阪で開催された博覧会です。現在の天王寺公園あたりが会場だったそうです。大阪の政財界が力をいれ、前回、京都で開かれた第四回(明治28(1895)年)の入場者が約100万人だったのに対し、その4倍の435万人余りを5ヶ月間のあいだにあつめたそうです。その翌年(明治37年・1904)に日露戦争が勃発。ちょうど時代の転換点に博覧会があったのが、’70年万博とよく似ている・・・

などなど、万博愛にあふれたお話でした。
(こぼら)

コメント

  1. てつ より:

    さて、万博の話しは聞きたいところですが、やはり今回は写真展をするために発掘された
    貴重な未発表の万博に向けてのブレーンストーミング等の資料ですよね 何に惹かれたかはひとそれぞれ、僕は青焼、原稿用紙、が懐かしいかった さて、これから分析 梅棹先生とこでも発掘されてるらしいし、橋爪さんに期待します(^O^)

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