吹田にゾウやワニがいた頃-春の特別展示@すいはく

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4月からの特別展示「吹田の景観を掘りおこすPARTⅡ」の準備が進んでいます。昨年夏の「吹田の景観展」の時代を絞りこみ、
1.200万年前のゾウやワニがいた地質時代から、
2.3万年前にヒトがやってきて活躍していた旧石器時代、
3.気候温暖化のため海面が上昇して海が内陸に進入して、古河内湾となったた縄文時代、
4.湾が川からの土砂の堆積で淡水化していったた弥生時代から摂津の国が出来る直前の古墳時代まで
という四つのステージにわけて景観の歴史を辿ろうとする企画です。

何かおもしろいものは?目玉となりそうなものを上げると、その第一は地質時代のマチカネワニの化石。体長8mもある40万年前の特大ワニ、1965年、となりの豊中市で全身の骨格が発見されました。標本はいま、大阪大学にあるのですが、吹田市との学術提携が交わされていることから、今回はそれを借りられそうです(全体は無理だから頭だけですが)。阪大の博物館には、触れる顎と歯のレプリカがあるのですが、それも貸し出しOK(今年の八月リニューアル・オープンのため、閉館中なので)。

もう一つはゾウです。
吹田市からもワニとほぼ同じ古い年代のアケボノゾウの化石がいくつか発見されていますが、あまりにも断片的なので、日本で歩いていた最後の現地ゾウであるナウマンゾウの頭骨を明石市から借りる話が進んでいます。これらは、「海揚がり」と呼ばれ、漁のとき網にかかって引き上げれられてくるものです。

海面がいまよりずっと低かった氷河時代、瀬戸内海は川や湖でゾウが群れをなして歩いていました。人々は山(今は島になっている)の上に陣取って、食糧となるゾウがやってくるのを見張っていたようで、それは、旧石器時代の石器が島々の高みから発見されるので推測できます。
問題は、ゾウやワニが何処からやってきたのか、どんな環境のなかで住んでいたのか、そして、なぜ消えてしまったのかです。そのあたりをどのようにわかりやすくみせるか、現在知恵を絞っているところです。

しかし、学芸員は、地質時代についてはシロウト同然なので、吹田地学会にアドバイスをお願いしたところ、こころよく承諾していただきました。地学会は、1950年代に日本の学会を席捲した、大阪層群研究に青春をかけ、土まみれになりながらフィールド・ワークにはしりまわった(今もですが)ツワモノ達を中心としたグループです。
第一回目は、割り勘で、居酒屋でチューハイなどをすすりながらのブレーンストーミングというか懇親会でした。いろんなアイデアが出て大変おもしろかったのですが、それは次回のおたのしみ。

(by カンチョー)

写真…ナウマンゾウ(大阪自然史博物館HPより)

 

コメント

  1. こぼら より:

    大阪市自然史博物館HPに マチカネワニさんの学名がのっていました。Toyotamaphimeia machikanensis(トヨタマヒメイア マチカネンシス) マチカネンシスは、待兼山でみつかったからだなってわかるけれど、Toyota・・・って、トヨタみたいだけど、どんなワニの種類?で、検索していたら、豊玉姫(神話に出てくる女神様)かららしい。でも、なぜ??約束をやぶって、彼女の出産中の姿をみたら、ヤヒロワニだった、つまりワニの化身だから っていいうんだけれど・・・ この話、本当ですかぁ (ちょっと失礼しちゃうわよね)。

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