エミリー・ウングワレー展~アボリジニが生んだ天才画家~(その3)

中央砂漠の芸術には男性と女性という2つの流れがありました。まず、パプニア派の点描画は色鮮やかなアクリル絵の具をつかった、記号のような抽象文で構成されたもの。男性が主導の儀式の砂絵が原点になったものです。

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もう一つのアーナベラのバティックは花のような模様を流れるような線と点で描いたもの。これは、女の子が地面に描く落書きをもとにしたといわれています。もちろん、バティックはインドネシアの技術・素材を取り入れたものです。

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儀礼のための砂絵から発した点描画はつねに聖地のありかやその儀式を描き、精神世界と深く関わっています。それは部族の秘密であり、守るのは男の仕事でした。女は排除され出過ぎると制裁をうけるのです。これは世界の伝統社会に共通してみられる現象です。

初期のパプニア派の絵の作者はすべてが男性でしたので、問題はありませんでした。ところが、アーナベラは女性ばかり、名声も収入もそこに集まります。男たちはアーナベラ文は秘密を描いてるという口実で批判しようとしましたが、アドバイザーだったW.ヒリヤードさんは「この模様は子どもの落書きから発したもの、秘密は語っていない」と強く主張して、女性が活動できる世界をまもりました。エミリーの作家としてのスタートはバティックでした。その後、油彩を描き始めると点描画の影響がでます。砂漠の2つの流れの歴史をしっかり踏まていることが作品の時代を追うとはっきりわかります。

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1979年に私が(日本のグループとして)調査ができるかどうか、もしそうならアドバイスはと、オ-ストラリア国立大学のM教授に会いに行ったら、「これまでアボリジニ研究は男性の目を通して行われてきたが、これからは女性」といわれました。いま、日本ではオーストラリア研究者に女性が多く、活躍が目立つのは、そんな社会の変化を反映しており、私たちのグループもそう努力した効果だとおもっています。

(カンチョー)

写真上:アーナベラの子どもの絵(1982年撮影)
写真中:正装したダンサーたち(1982年撮影)
写真下:ダーウィンのアボリジニ美術をあつかう画廊をのぞくカンチョー(2004年撮影)

コメント

  1. ゆう より:

    アボリジニアートって独特なんだね~

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