日本史を動かしたタケ-弓について考えたこと

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タケは日本の歴史を動かす力の大きな要素になったのではないでしょうか。それは武器としての弓の進化によるもの。

弓は縄文時代のはじめに現れたことは石鏃の出土することからわかりますが、弓そのものはずっと遅く、後期の北海道で出土品があります。それは丸太の長弓でした。次の弥生時代、「魏志倭人伝」には、倭人は長弓を使うという記事があり、銅鐸の絵にも長い弓で狩りをしている図があります。弓は戦闘に使われており、矢を打ち込まれた人の埋葬例がいくつか出ています。その後の時代も、梓弓という言葉があるように、日本では、丸太の長弓が基本的な流れになっていたと思われます。

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タケ(マダケ類)は栽培植物であり、日本原産ではない(反対意見もあるが)、という説では奈良時代には、貴族階級にしか知られていない高貴な植物だったというのです。しかしのちには他の地域に持ち出されたのでしょう。日本の温暖湿潤な風土にあった繁殖力の旺盛なタケは、平安時代中ころまでには、日本の風景の中に定着たのだとおもいます。タケは、弾性にとみ、加工が簡単なので、さまざまな道具の素材として活用されるようになったのでしょう。その一つが弓だったのだとおもいます。

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平安時代の中頃、「伏竹」の弓という丸木の表面に竹を貼り合わせた複合弓はつくられました。そして、それは三枚弓(裏表に竹を貼る)、四方竹(側面にもー鎌倉時代)へと発達して、弓の機能をのばしていったのです(もっと調べる必要あり)。タケは軽く、弾性があり強靱、そして豊富な素材でした。それが、平安末からの機動力のある武士軍団の形成に大きく利したのではないでしょうか。武器としての弓の価値は鉄砲の伝来によって終わりを告げます。そのためその後は、儀式やスポーツへとかわり、象徴とか精神的なを意味を持つようになったのでしょう。

(カンチョー)

写真中:平治物語絵詞、写真下:蒙古襲来絵詞、蒙古兵の複合・短弓と武士の長弓の差がよくわかる。(ともに13世紀末)

コメント

  1. カンチョー より:

    一度その方にお会いして、弓の作り方など、いろいろ聞いてみたいです。弓づくりの盛んな九州出身の方ですか?

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